そう、妄想も嘘。
マイケル・ジャクソンの存在感
- 2009-06-29 (Mon)
- Essay
◆「存在感あった」=M・ジャクソンさん死去に麻生首相
記事にぶらさがっているYahoo!のコメント欄の上位には至極もっともなことが書かれているが、こういう類の質問ってのはもう、記者団として決まりごとになってるんだと思う。
「時事ネタはとりあえず聞いとけ」が規定路線なのだろう。
それがいくら取るに足らない情報だとしても。
「総理、マイケル・ジャクソンさんが亡くなりましたが、ひとことコメントを」って聞かなきゃならない空気が流れているにちがいない。
問題は、記者団の中でいったい誰がそんな「おばかな質問」をするか、だ。
どの記者にしたって、いちおう総理大臣の番記者だからエリート揃いのはず。
にもかかわらず、そのエリート集団のなかで、なぜかしら芸能レポーターの真似事みたいなことをする役回りの人間がいる。
推測するに、彼(または彼女)は望んで質問したわけではない。
他の記者や会社からの圧力で「聞かざるを得なかった」だけなのだ。きっと。
だが、結果的にはYahoo!のコメント欄で吊し上げられる羽目になる。
それはおそらく若手の番記者だ。
首相付になって日が浅い記者が、損な役目を担わされるのである。
「よーし、政治の最前線で、生の声を国民に届けるぞ!」
夢と希望と使命感を持って職務にあたろうとした矢先、いきなりベテラン記者から告げられる。
「お前、今日、マイケル・ジャクソンの話聞け」
「え?」
「え?、じゃねえよ。マイケルのネタ振れっつーんだよ」
「俺すか?俺がそんなこと、、、聞くんすか?」
「お前しかいねーだろ。ローゼン閣下だったらぜってー食いつくから」
記者は当然のごとく、こう反論したことだろう。
「でも、そんなこと聞いて意味あるんすか?意味なくないすか?」
しかし、ベテラン記者は一見もっともそうな意見でそれっぽくいなす。
「雑談のなかから本音がぽろっと出てくることもあるんだよ」
また別の年配記者も、なんとなくたしなめる。
「お前んとこスポーツ紙もあるだろ。そっちにネタ提供してやれ」
みたいなことなのかもしれない。
お偉いさんの番記者になった誰もが一度は通る道、悪しき慣例として、無意味な質問をするのが若手番記者の責務になっている。そう思いたい。
でなければ、いまの時期に麻生総理にマイケル・ジャクソンの訃報について話を聞く意味がわからない。
ともかく。
事実として、政界がかなり重大な局面を迎えているにも関わらず記者団は首相に話を振った。
「総理、マイケル・ジャクソンさんが亡くなりましたが・・・」
そして麻生は答えた。
麻生の言葉を素早くメモを取る者、ICレコーダーに録音する者、さまざまだ。
ただひとり、当の質問を投げかけた若手記者だけは無力感を感じていた。
「こんなやりとり、ぜってえ国民は求めてねえっつうの・・・」
一方、麻生を囲む記者団の輪から少し離れたところで、あるベテラン記者は残念そうな顔をする。
「べらべら喋ったわりには、大したこと言わなかったなあ・・・」
そう思いながら手帳を取り出すと、びっしり文字が書かれた取材メモの一文に線を引いて消した。
それは、麻生が万が一、失言したときのために彼が考えていた見出しだった。
『首相、記者団の質問に思わずお口がムーンウォーク』
・・・母さん、日本は今日も平和です。
(了)
===
こんな文章を書いておきながらあれだけど。
生まれてはじめて買ったCDが『BAD』だったことを思い出す。
合掌。

「存在感あった」=M・ジャクソンさん死去に麻生首相
(6月26日20時7分配信 時事通信)
麻生太郎首相は26日夜、米国のポップス歌手マイケル・ジャクソンさんが死去したことについて「スーパースターで、存在感がある歌手だった」と述べた。首相官邸で記者団の質問に答えた。
記事にぶらさがっているYahoo!のコメント欄の上位には至極もっともなことが書かれているが、こういう類の質問ってのはもう、記者団として決まりごとになってるんだと思う。
「時事ネタはとりあえず聞いとけ」が規定路線なのだろう。
それがいくら取るに足らない情報だとしても。
「総理、マイケル・ジャクソンさんが亡くなりましたが、ひとことコメントを」って聞かなきゃならない空気が流れているにちがいない。
問題は、記者団の中でいったい誰がそんな「おばかな質問」をするか、だ。
どの記者にしたって、いちおう総理大臣の番記者だからエリート揃いのはず。
にもかかわらず、そのエリート集団のなかで、なぜかしら芸能レポーターの真似事みたいなことをする役回りの人間がいる。
推測するに、彼(または彼女)は望んで質問したわけではない。
他の記者や会社からの圧力で「聞かざるを得なかった」だけなのだ。きっと。
だが、結果的にはYahoo!のコメント欄で吊し上げられる羽目になる。
それはおそらく若手の番記者だ。
首相付になって日が浅い記者が、損な役目を担わされるのである。
「よーし、政治の最前線で、生の声を国民に届けるぞ!」
夢と希望と使命感を持って職務にあたろうとした矢先、いきなりベテラン記者から告げられる。
「お前、今日、マイケル・ジャクソンの話聞け」
「え?」
「え?、じゃねえよ。マイケルのネタ振れっつーんだよ」
「俺すか?俺がそんなこと、、、聞くんすか?」
「お前しかいねーだろ。ローゼン閣下だったらぜってー食いつくから」
記者は当然のごとく、こう反論したことだろう。
「でも、そんなこと聞いて意味あるんすか?意味なくないすか?」
しかし、ベテラン記者は一見もっともそうな意見でそれっぽくいなす。
「雑談のなかから本音がぽろっと出てくることもあるんだよ」
また別の年配記者も、なんとなくたしなめる。
「お前んとこスポーツ紙もあるだろ。そっちにネタ提供してやれ」
みたいなことなのかもしれない。
お偉いさんの番記者になった誰もが一度は通る道、悪しき慣例として、無意味な質問をするのが若手番記者の責務になっている。そう思いたい。
でなければ、いまの時期に麻生総理にマイケル・ジャクソンの訃報について話を聞く意味がわからない。
ともかく。
事実として、政界がかなり重大な局面を迎えているにも関わらず記者団は首相に話を振った。
「総理、マイケル・ジャクソンさんが亡くなりましたが・・・」
そして麻生は答えた。
麻生の言葉を素早くメモを取る者、ICレコーダーに録音する者、さまざまだ。
ただひとり、当の質問を投げかけた若手記者だけは無力感を感じていた。
「こんなやりとり、ぜってえ国民は求めてねえっつうの・・・」
一方、麻生を囲む記者団の輪から少し離れたところで、あるベテラン記者は残念そうな顔をする。
「べらべら喋ったわりには、大したこと言わなかったなあ・・・」
そう思いながら手帳を取り出すと、びっしり文字が書かれた取材メモの一文に線を引いて消した。
それは、麻生が万が一、失言したときのために彼が考えていた見出しだった。
『首相、記者団の質問に思わずお口がムーンウォーク』
・・・母さん、日本は今日も平和です。
(了)
===
こんな文章を書いておきながらあれだけど。
生まれてはじめて買ったCDが『BAD』だったことを思い出す。
合掌。

トータス内田
- 2009-06-19 (Fri)
- Note
じつはいま、このなかに僕がいるのだった。
「PEPSI NEX 歌おうぜ!キャンペーン」
歌おうぜ!ってことで、ほんとに歌っている。
カメラを前に、ちょっと照れながら歌っている。
こういうのは堂々と歌うほうが断然格好いい。
ってことに、アップされてからようやく気づく。
暇な人は「ウォーリーを探せ」感覚で“リアルなウチダ”を探してみてください。
みごと探し当てた人の中から先着1万名様に「苦笑する権利」をプレゼントします。

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歌おうぜ!ってことで、ほんとに歌っている。
カメラを前に、ちょっと照れながら歌っている。
こういうのは堂々と歌うほうが断然格好いい。
ってことに、アップされてからようやく気づく。
暇な人は「ウォーリーを探せ」感覚で“リアルなウチダ”を探してみてください。
みごと探し当てた人の中から先着1万名様に「苦笑する権利」をプレゼントします。

びくっとする
- 2009-06-08 (Mon)
- Note
ニュースなどでよく使われるフレーズに「〜する方針を打ち出しました」というのがある。
僕はあれを聞くたびに、びくっとしてしまう。
理由は単純、自分の名前と似ているからだ。
打ち出しました。⇒ウチダシました。
「ウチダシンスケ」の「ウチダシ」まで同じなので、なんだか画面の向こうから呼ばれてる感覚になるのである。
でも、かといって子供の頃から散々言われてきた「誰々のうちだ」では、不思議となんとも思わない。
理由はよくわからない。
よくわからないが、自分の中になにか境界線のようなものがあるんだと思う。
そういえば、中学のとき英語で習った「since」も「あー、惜しい!」とか思ったりしてた。
と同時に巷に大勢いる「愛ちゃん」や「優ちゃん」は自分の名前と英語が区別つくんだろうか、勘違いしないだろうか、と勝手に心配したりもしていた。
「アイラブアイ」とか「ユーラブユー」とかになっちゃうし。
人間ってのはそれぞれが皆、人知れずびくっとしてるんだと思う。
奥が深いね。
って書いたそばから、もしかしたら「奥さん」や「深井さん」がびくっとしてるかもしれない。あと意外なところで「イネさん」とか。
【おまけ】
この前、通勤途中に見かけてびくっとした光景。
おっちゃん、素で「うおっ」って声出してもうたがな。

僕はあれを聞くたびに、びくっとしてしまう。
理由は単純、自分の名前と似ているからだ。
打ち出しました。⇒ウチダシました。
「ウチダシンスケ」の「ウチダシ」まで同じなので、なんだか画面の向こうから呼ばれてる感覚になるのである。
でも、かといって子供の頃から散々言われてきた「誰々のうちだ」では、不思議となんとも思わない。
理由はよくわからない。
よくわからないが、自分の中になにか境界線のようなものがあるんだと思う。
そういえば、中学のとき英語で習った「since」も「あー、惜しい!」とか思ったりしてた。
と同時に巷に大勢いる「愛ちゃん」や「優ちゃん」は自分の名前と英語が区別つくんだろうか、勘違いしないだろうか、と勝手に心配したりもしていた。
「アイラブアイ」とか「ユーラブユー」とかになっちゃうし。
人間ってのはそれぞれが皆、人知れずびくっとしてるんだと思う。
奥が深いね。
って書いたそばから、もしかしたら「奥さん」や「深井さん」がびくっとしてるかもしれない。あと意外なところで「イネさん」とか。
【おまけ】
この前、通勤途中に見かけてびくっとした光景。
おっちゃん、素で「うおっ」って声出してもうたがな。
