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2005年02月

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アンパンマンについて語ってみる。

アンパンマンについて知るようになったのは、
コドモが興味を示して以来で、ここ1~2年なのだが、これがまた、奥が深いのである。

実は、お恥ずかしい話(かどうかはわからないが)、
これまで「アンパンマン」をまともに観たことは一度もなかった。

つまり、人形や静止画(絵)でしか身近になかったのだ。

それが、つい最近、はじめてアニメ番組としての「アンパンマン」を
視聴したのだが、それはもうビックリだった。

まず、アンパンマンって、




顔の差替えが可能




なんですね。




知らなかった・・・


僕が見た回では、顔が濡れてしまい、

「ふやけちゃった~」

とか云ってへにゃへにゃになってるウチに、

ジャムおじさんとバタコさんの手によって
新しい顔に取替えられるのである。



もちろん、その際の


新顔がポーンと投げられ、



アンパンマン、首で見事にキャッチ、



クルクルクルクル~、シャキィーン!



という一連の動きも、アンパンマン初心者の僕には
たいそう刺激の強い映像だった。




しかし、考えてみると。

ある意味、これはこれで、






大量消費社会の象徴





ではないだろうか。




奨励しているのか、それとも逆説的に皮肉っているのか?




とにかく、何かを訴えかけているように思えた。



そして。


顔にまつわる場面では、もうひとつ、
別の場面でも衝撃的な映像があった。


なんとアンパンマンが、お腹の空いたコに








自分の顔を食べさせていた





のである。



自分の顔を、いとも簡単に。



満足そうに食べるコ。
満足そうなアンパンマン。
(もちろん、後で付け替え)



もちろん、コドモに対しては、


「お友達には優しくしましょうね~」

「困っているお友達は助けてあげましょうね~」

「自分の物でもお友達に貸してあげましょうね~」




といった教訓が含まれているのだろうが、


これはこれで、








自己犠牲の象徴





と、云えるのではないだろうか。



とかく自己中心的な人間が増えたと叫ばれる現代。
自分の持ち物を他人に差し出すだけでは済まないのである。


ときには、

自分自身の身すらも差し出さなくてはならない

のである。



アンパンマンは、現代人に対して警鐘を鳴らしている。











献血しましょうと。





どうにもアンパンマンは、奥が深い。




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コドモとアンパンマン


ヒトの親になって思うことがある。


コドモは面白い。


2歳の息子は、このところコミュニケーション能力が
急激に発達してきたせいもあり、特に面白みが増している。

たとえば。
あるとき、女性週刊誌をにぎわす御方の名前を連呼していた。



「マサコさん、マサコさ~ん」




ほー、皇室の名前を知ってるのか。
オマエも立派な日本国の住人だな。


そう思っていたら、それは







「バタコさん」




のことだった。


このところずっと皇室がバタバタ騒いでいるのは確かだが、
さすがに皇太子妃は、バタバタ走らないはずだ。


ちなみに、彼は「ジャムおじさん」を、つい最近まで







「ナムルおじさん」




と呼んでいた。


本人は、一生懸命「じゃむ」と発音しているようなのだが、
どうしても「なむる」に聞こえてしまっていた。

かなり通なところを突いてくることに吃驚すると同時に、
韓流ブームとリンクするように年齢を重ねている、という時代背景を
感じずにはいられない。


ヘンな感慨にふけりながら、きちんと訂正して教えてあげた。


だが、今度は







「ラムおじさん」




かなりの飲兵衛オヤジになってしまった。



ラムおじさん「生地にバカルディを効かせておいたから、
        アダルトな風味に仕上がったよ」

アンパンマン「ありがとう、ラムおじさん。
        でも、僕はマイヤーズのほうが好みなんだ」

ラムおじさん「おっ、なかなか知ってるじゃないか」





そして。

息子は今夜も、UFOキャッチャーで手に入れたアンパンマンやバイキンマンとともに、
健やかな眠りにつくのである。

それに3000円以上も費やしてしまったことなど、知らずに。


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ともだち百人できるかな


こどもの頃、こんな歌があった。


『一年生になった~ら~、一年生になった~ら~、
 ともだち百人できるかな~♪』



子供のころ、誰もが歌ったんじゃないだろうか?
スペックは、こちら。

「一年生になったら」
作詞 まど・みちお
作曲 山本直純



作詞のまど・みちお氏は、かの北原白秋に認められた詩人とのこと。

この手の「認められる・認められない」というセリフは、なにをもって
判断されるのかということも興味深いが、ここでは触れないでおこう。

とにかく、北原白秋に“認められた”詩人の作品なのだが、
最近になって、この歌に重大な事実が隠されていることに気がついたのである。


さて、まずこの歌が示す「一年生」についてだが、
これは、「小学一年生」だと考えて間違いないだろう。

他に可能性があるとすれば、「一年生議員」が定着している政界くらいか。
将来、この国を牛耳ってやる、という強い意志を持つ歌だと解釈すれば、
それはそれできな臭い歌にも聞こえるが、そうでないことは明らかである。

となると、これは小学校入学前の僅か6歳児の、
心情を吐露した歌ということになる。



世の中、人脈である。



人との繋がりが重要なことは、社会に出れば誰もが痛感するはずで、
希望・願望の範疇とはいえ、若干6歳にして、その重要性を認識し、
広い交友関係を築こうとする彼(仮にこう呼ぶ)には、拍手を送りたい。


小子化が進む現代においては、望みの達成は困難を極めるだろう。
もしかしたら、厳しい現実を突きつけられることになるかもしれない。


しかし、幼さゆえか、彼の望みは、より高いところにあるのだ。




『百人で食べたいな~、富士山の上でおにぎりを~♪』




なんと、ともだちと富士登山を目論んでいるのだ。



富士登山は、実はオトナでも結構たいへんな登山コースだと聞く。
それを彼は、ともだちを引き連れて達成しようと計画している。
しかも、パックン、パックン、と暢気におにぎりを食すつもりらしい。


これだけでも、かなり「してやられた感」は、ある。


しかし。


僕は、彼を甘く見ていたようだ。

彼の真の目的は、そこではなかったのだ。
さらに重大かつ大胆な企みを、実は密かに抱いているのである。




彼はまず、

「ともだち百人できるかな」

と云っている。




そして、

百人で食べたいな、富士山の上でおにぎりを」

と続ける。





つまり。






一人、足りないのだ。







彼は、その年齢にそぐわぬ百人もの友人を作り、
その成果として実行予定の、恐らく史上最年少の集団富士登山に、




たった一人だけ、絶対に誘わないつもりなのである。




僕は、大きな野望の裏に隠れた、ある種の残虐性を感じずにはいられない。



せっかくなので、最後に全歌詞を紹介しておこう。
二番も三番も、やはり一人だけ・・・。



一年生になったら 一年生になったら
ともだち百人 できるかな
百人で 食べたいな
富士山の上で おにぎりを
パックン パックン パックンと

一年生になったら 一年生になったら
ともだち百人 できるかな
百人で かけたいな
日本中を ひとまわり
ドッシン ドッシン ドッシンと

一年生になったら 一年生になったら
ともだち百人 できるかな
百人で 笑いたい
世界中を ふるわせて
ワッハハ ワッハハ ワッハッハ



最後の高笑いが、なんとも云えず哀しく聞こえてしまうのは僕だけか。

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