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2005年07月

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Happy Birthday!!


今日、7月29日は、僕の誕生日である。

まあ言っても誕生日というものは、誰にでも一年に一度は訪れるわけで、
僕にとってのその日が今日、というわけだ。

いま世界に50億人いるとして、それを単純に365日で割ると
1370万人ほどが、まさに今日、誕生日を迎えた計算になる。


これは、考えるとすごい。


日本規模で考えても、人口を1億2千万人とすると、
約33万人もの日本人が、僕と同じ誕生日なのである。


ところで、ブログ情報ポータルの『BLOG PEOPLE』には、
『BLOG PEOPLE BB』なるものがあり、まさにその日が誕生日、
という方々のブログが表示されている。
誕生日を登録していると、その日に表示される仕組みになっているのだが、
彼等のブログを覗いてみると、なかなか興味深い。

恋人や家族たちと、特別な一日を過ごす人。
いつもと同じ生活を送ったと淡々としている人。
ひとりで寂しい、また歳を取った、など嘆く人。
この世に生まれてきたことを親に感謝する人。
生きるってなんなの、と哲学の世界に行く人。
決意表明をして、新たな年を仕切り直す人。

実に、さまざまなのだ。

誰もかれもが、今日まさに誕生日を迎えていて、
それぞれがそれなりの“プラス1歳”を実感している。


今日は僕の誕生日だが、同時に別の誰かの誕生日でもあり、
「おめでとう」と言われる立場だが、言う立場でもある。

明日になれば誰かの誕生日になり、明後日も明々後日も、
また次の日も、当たり前だが一年中、誰かの誕生日なのだ。


まあ、結局のところ、何が言いたいのかと言うと。





Happy Birthdayは、年中無休。





僕らは、両親から「ありがとう」と喜びと感謝の中で誕生し、
周りの人から「おめでとう」と祝福されて誕生した存在である。



生まれてきたことに感謝します。ありがとう。



祝ってくれたことに感謝します。ありがとう。



今日、誕生日を迎えた人たち、おめでとう。




そして、まさにいまのこの瞬間も、世界のどこかで、
「おめでとう」と「ありがとう」が溢れているのである。



そう考えると、なんだか嬉しくなってくる。



そう考えると、なんとなく毎日が楽しくなる。



しかし、忘れてはならない。

この考え方は、















クリスマスイブの夜に、ふと思ったりする、

「いま日本で何組のカップルがHしてんだろ?」

と基本的には同じであることを。







さらに言うと。
それはそれで、近い将来のHappy Birthdayに繋がるのだった。
通常と比較すると、そこそこの確率で。

なんだかんだで盛り上がっとるからね。



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いま、会いにゆきます2


前回、『いま、会いにゆきます』を取り上げた際、
最後のほうで、どうでも良くなってしまったが、
それでもやっぱり、もっと遊んでみたい気分なのだ。

やはり『いま、会いにゆきます』というタイトルは秀逸で、
印象に残るという点は、疑いようがない事実。

そこで今回は、状況別に応じたタイトルを考えてみたい。

もちろん、印象に残るフレーズであることが重要だ。


例えば、セレブ版だとこうなるはずだ。















『島、買いにゆきます』










島ごと、買っちゃう話なのである。

『GQ』かなんかの雑誌にも、出ちゃうのである。

もちろん島の名前は『アーカブイ島』と命名する。

けっして、ほのぼのした感じにはならないが、
ライブドアの堀江貴文氏あたりなら言いそうだ。



こんどは、他の作品との融合。

例えば、往年の名作と混同してしまうとこうなる。
















『いま、貝になります』










残念ながら、オリジナルの奥ゆかしさが消えている。

戦犯に仕立て上げられた者が、不条理さを抱えたまま、

『私は貝になりたい』

と悲しみと苦悩を吐露するところに意味があるわけで、
やけに潔い宣言口調だと、困りものである。

「じゃあ、わたし、これから貝になりますんで」

みたいな軽いイメージは、ちょっとどうかと思う。



最後に、カップルで本作品を読んだり見たりしたとき、
影響を受けやすいキザ男なら、相手にこう言うかも、という例。
てゆうか、実際に上映時期に映画館の前で耳にした例がコチラ。















『いま、愛に生きます』










馬鹿じゃないか?


言った本人は「決まった」と思ってたっぽいし、
言われた女も、まんざらでもなさそうだった。

まあ要するに、バカップルだった訳なのだが、
ひとつだけ言わせてもらえば、その発想は










加護ヲタと変わらない。





あと最近で言うと、大友とか福原とか宮里とか。

まあ、個人の自由だし、好きなのなら仕方ない。


すべては、愛のなせる業ということで。



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継続は力なり


漢字。

それは漢民族の間で発生・発達した表意文字であり、
紀元前十数世紀も前から伝承されてきた文化である。


漢字は、端的に言い表す。


たとえば、過去
過去は、振り返っても仕方ない時。
それは、過ぎ去った日々のことだから。

たとえば、未来
未来は、誰にもわからない時。
それは、未だ来ない日々のことだから。

たとえば、現在
現在は、ありのままを受け入れる時。
それは、現に在る日々のことだから。


このように漢字は、時の流れを例に挙げただけでも、
まさに真理を言い表してくれる。





そして。

僕らは、現在を生きている。

僕らは、この世に人間として生を受け、
誰もが人生という名の旅を続けている。

生まれてから死ぬまで、僕らの旅は続く。

しかし、宇宙の果てしない時の流れから見れば
僕らの旅は、一瞬の間でしかない。

だから、というわけではないけれど。


与えられた瞬間を、無駄にしてはいけない。


どんな困難にぶち当たっても。
どんな悲劇が押寄せてきても。
どんな絶望と向かい合っても。


人生を、途中で放り出してはいけないのだ。


継がなくても良い人生なんてない。
続ける意味のない人生なんてない。


なにがあろうとも、継続してこその人生である。


各々の旅路を、各々の歩幅で歩めばいい。


継続するだけでいい。


継続すれば、それは糧となり、チカラとなる。



先人は、よく言ったものだ。

僕は、声を大にして言いたい。




















継続は、力也















…チカラ入りすぎて、ホタテマン出てきた



とかなんとか言っても、あの風貌で、この名前。
やはり、漢字は端的にその意を表すのである。



<後記>
本名かどうかを調べていて吃驚したのだが、
なんと本日は安岡力也氏の誕生日だそうだ。

Happy Birthday, 力也(本名)!!



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いま、会いにゆきます

正直に告白するが、生まれて初めて読後に涙した本、
それが『いま、会いにゆきます』である。

子を持つ父親として感情移入してしまったこともあるのだろうが、
いつも斜に構える僕にとって、泣いてしまうとは、不覚というか、
まったく自分でも信じられない現象だった。

その本が、ベストセラーになり、映画になり、現在は連ドラ。

そりゃそうだろう。
自分でいうのもなんだが、ひねくれ者の僕でも、キたのである。
日本中が『いま会い』に浸るのは、当然のことだと思われる。

せっかくなので、連ドラの次の展開を考えてみた。

それは、


駅構内の伝言板


これに、さらっと書くのである。




「いま、会いにゆきます」




どうだろう?
なんでもない文が、旬で素敵な伝言に早変わりである。

利用客は、この伝言板を見て思わずキュンとなるだろう。
いつもの駅が、ファンタジーな空間に様変わりするだろう。
その文を見ただけで号泣する人が現れてもおかしくない。

もし、これが次のような文では駄目だ。





「めし どこか たのむ」





あまりにも唐突すぎるし、そもそも伝言板とは
レスポンスを求めてはならないツールである。

「あぼーん」

などと書かれて終了である。

かくして、人の心にホワッとしたものを残すという意味では
この手法は『いま、会いにゆきます』でのみ有効なわけだが、
伝言を残す者は、次のような注意が必要だ。

まず、原作のタイトルと一字一句、間違っていては困る。

たとえば、こんな風になっているとまずい。










「ひま、会いにゆきます」









なんとも間の抜けた印象になってしまう。

「こっちは必死で働いてるのによ」

サラリーマンの愚痴が聞こえてきそうだ。


また、ヘタに漢字に変換するのも宜しくないだろう。










「いま、会いに逝きます」









もはや、遺書である。後追い自殺である。

涙には暮れるが、それは感動ではなくただ悲しみによるものだ。
ホワッとなるはずが、ズドーンと重苦しさが漂ってしまうばかりだ。


そして最後に、これが一番注意すべきことだが、










“会いにゆく”相手に伝えたいときは、

利用すべきではない。











考えてもみてほしい。

これから会いにゆく相手に対して、そんなことを書いても、
伝わるわけがないのである。

相手は、これからまさに向かおうとする場所に居るのである。

ということは、

・Aさん=いま、会いにゆく人
・Bさん=Aさんとこれから会う人
・Cさん=AさんがBさんに会う事実を、伝えられる人

というふうに、第三者(Cさん)の存在が必要になるわけで、
いままさに伝言板にメッセージを書き込もうとするAさんは、
自分がBさんに会う予定があることを知っているCさんに対し、
なんだかんだあったけどいまからBさんに会いゆくことになって
その旨をあなたにお伝えしておきたいので伝言を残しますね、

という場合に限り、有効なのである。




・・・とかなんとか、ぐだぐだ書いてたら面倒くさくなってきた。

そんなシチュエーションをわざわざ考えてる自分が馬鹿らしい。

それに冷静に考えると、伝言板にそんなん書かれてたら、たぶん引く。








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前に出る勇気


勇気が欲しい。

そう思う。

果敢に戦火の中を潜り抜けるような、勇ましさじゃなくていい。

いまよりも、ほんの少しだけでいいのである。

これまでの自分の位置から、一歩だけでもいいのである。

たとえ僅かあっても。

前に出る勇気。

それが、欲しいと思うのだ。



※先にお伝えするが、この後の文章には不適切な表現が含まれるので、
 そのへんは充分気をつけて読まれたい。
 特に食事中の方は、いまは遠慮されたほうが宜しいかもしれない。



僕が勤めているのは、いわゆるオフィスビル内の3階の一室。
社内にトイレはなく、共用トイレを利用している。
各階毎に設置されているわけではなく、
奇数階は女性用、偶数階に男性用があるのだった。

僕は、いつも4階を利用する。
なぜなら、2階の男性用トイレは、大抵いつも





床、びちょびちょ





なのである。

初遭遇したときは、アンラッキーくらいにしか思わなかったが、
二度目、三度目、と繰り返し遭遇するたびに、もはや、

爪先立ちしたり、大股開きになったり、と
地雷を避けながら用を足せるレベルを超えている


ことを、認識したのである。
それ以来、僕は4階を利用することにしている。


だが先日、久しぶりに2階のトイレに立ち寄った。

仕事の打合せで外出する際、階段を降りがてら、
2階で用を足そうと思ったのだ。

ちょうど、掃除のおばちゃんが出てくるところだった。

「いつもいつも、ご苦労さま」

もちろん、トイレ内はクリーンな状態である。
快適に用を足していると誰かが入ってきた。

小奇麗なスーツを着こなす『オジサマ』

男の僕でも、そう表現したくなるような男性だった。
この御方、実は稀に廊下ですれ違うことがあるが、

ロマンスグレー、ジェントルマン、CEOかCOO

実際は何者なのかまったく知らないのだが、
そんな肩書きが次々と浮かぶほどダンディーなのだ。

そんな彼が、スッと僕の横に立った。

いくぶん大股開きで立つ姿には、男らしさも滲み出ていた。

ちょうど僕は用を済ませ、彼とすれ違うように振り返った。

そのとき。



あってはならない音が、聞こえてきた。



放物線を描く液体が、定めるべき目標を逸れ、
より高低差のある谷底へ落ちていくような音。



嗚呼、










貴方だったのですね・・・










勇気が欲しい。

そう思う。

果敢に戦火の中を潜り抜けるような、勇ましさじゃなくていい。

いまよりも、ほんの少しだけでいいのである。

これまでの自分の位置から、一歩だけでもいいのである。

たとえ僅かあっても。

前に出る勇気。

それが、欲しいと思うのだ。





・・・貴方に足りないのは、そんな些細な勇気だけなのだから。








一方で僕は、こうも思う。


「残念ながら貴方は、御子息を過大評価している」


そう言える勇気が欲しい、と。


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若気の至り


あれはたしか、高校時代だったと思う。

一学年下に『いいかおり』という子が居た。

伊井香織だったか、井伊佳織だったか、漢字は思い出せないが、
とにかく『いいかおり』としか読めない名前を
校内掲示物かなにかで見つけたのだ。

衝撃的だった。

この類の話でよく例として挙げられる名前として、

水田まり さん
大場かなこ さん

などがあるわけだが、それにしても『いいかおり』とは
あまりにも美しすぎる響きではないか。


少し話は逸れるが、僕は小学生の頃、禁断のカップルを
勝手に創りあげては憂いていたものだった。

「マキちゃん」が「真木くん」と結婚したら「まきまき」になるとか、
「ミキちゃん」が「三木くん」と結婚したら「みきみき」じゃんとか、
「イズミちゃん」が「和泉くん」と結婚したら「いずみいずみ」とか、

彼等は、たとえ両想いであっても結ばれてはいけないのだと、
子供心に勝手に思い込んでいたのである。

夫婦別姓が認められて僕ほど喜んだ男はいない。

そう断言してもいいほどである。


とにかく、幼い頃から人の名前に反応してしまう性分だった僕だ。

それだけに『いいかおり』の存在を知ったときは、
我を忘れて狂喜乱舞してしまった。

僕は、友達を連れて彼女のクラスを訪れた。

もちろん、目的はたったひとつ。














どんな匂いか、嗅ぐ。











しかし、肝心の『いいかおり』が、どの子なのか判らなかった。
一つ下の学年なんて全く知らなかったのだ。

そこで僕らが取った行動は、たったひとつ。














教室から出てくる女子を
さりげなく嗅いで回る。













そう。


あの頃、僕らは















変質者だった。











どうかしていた。

「『いいかおり』に、香水をプレゼントしたい」

その強い想いだけが、先走っていた。

当時の僕に名前を授けるなら、間違いなく『若気野 至』だ。




しかし、あれから10年以上経ったいま、僕は『いいかおり』の容姿を、
まったく憶えていないのである。

それどころか、結局のところ、会えたのか、それとも会えなかったのか、
それすらも不思議なことに全く憶えていないのだ。

当時、一瞬でも僕をときめかせてくれた彼女の存在そのものが、
残念ながら、僕の脳裏から消えてしまっているのである。

当然、どんな匂いなのかも記憶に残ってはいない。



ただ“青春の甘酸っぱい香り”として、僕の心に残っているだけだ。



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予測できない人々


世の中には不可思議な人種が多数存在している。
そのひとつが「予測して行動できない人間」だ。

例えば、新宿駅の切符売り場などでよく見かける。
新宿は副都心だけあって、いつも混雑している。
電車の切符を買うのも常にひと苦労である。

巨大な駅構内に切符の自動販売機がズラッと並び、
販売機前には切符を買い求める列がズラッと並ぶ。

並んでいるあいだに、大抵の者は次の準備を行う。

・路線図を確認して、行き先までの料金を調べる。
・財布を取り出して、予め小銭を用意しはじめる。
・なんなら、ぴったりの額を握り締め順番を待つ。

これしきのことをできない者が、いるのである。


彼は、切符売り場に来る。
彼は、列に並んで順番を待つ。
彼は、前の者が切符を買い立ち去るのを見る。
彼は、目の前の販売機と向かい合う。

彼は、そこで初めて頭上の路線図を見るのだった。



愚の骨頂



いったいお前は、待ってるあいだに何をしていたのだ。
ちょっとイッちゃってたのか。
格好つけて言えば、アイドルタイムか。

彼は、ETと交信するように人差し指を宙に這わせて、
ようやく行き先を確認したかと思うと、どういう訳か
セルフボディチェックを始めるのだった。



愚の真骨頂



なぜ、手元に財布がないのだ。
なぜ、自分の財布の居場所を覚えてないのだ。
お前は盗塁のサインを出す三塁コーチか。

ようやく鞄の奥底から財布を取り出すと、
彼は小銭を確認し始めるのだった。

しかし。
どうやら小銭が足りないらしく、結局、千円札使用。



愚の極み



千円札が機械に認識されず、入れては出てきての繰り返し。



愚の愚



やっと機械に吸い込まれたと思ったら、上半身だけ反らして
もう一回、頭上の路線図で行き先を確認。




それ、もういいから。




そして、二度見(実質三度目)。もはやスウェー。




だから、もう結構。




なんとか購入したと思ったら、その場で釣銭を財布へ移行。




買ったら、まず退け。





そんな彼は、去り際に切符を見つめながら呟いた。










「あれ?京王線じゃないのか…」








お前が購入したのは、
いったい何処行きの切符だ。





気がつくと、僕の手のひらには握り締めていた小銭の模様が
くっきりと刻まれていたのだった。



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