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2005年09月

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愛・地球博


日本で35年ぶりの本格的な万博となった2005年日本国際博覧会、
『愛・地球博(愛知万博)』が昨日、閉幕した。

恥を晒すのを承知で言ってしまうと、僕はそもそも「万博とは何か」
ということもよく理解しておらず、興味を持つことができなかったし、
もちろん、会場へ足を運ぶ機会も無いまま終わってしまった。

『サツキとメイの家』の抽選入場券がヤフオクで高値が付いた、とか、
手作り弁当持参で入場できるけどバナナはおやつに入らない、とか、
こんなにマンモスが話題になるのは「マンモスのりピー」以来、とか、
公式キャラの『キッコロ&モリゾー』の偽物が話題になったり、とか、
なんか、まあ社会人としてはどうかと思うようなネタも含めて、
どうしようもない話題しか頭に残っていないのだった。

そんな中、閉幕してすぐに興味深い記事を発見した。



『185日の全期間入場、56歳主婦が“皆勤賞”』



毎日新聞(WEB版)に掲載された記事を要約すると、56歳の主婦が
万博会場を一日も欠かさず訪れたというタイトル通りの内容なのだが、
僕が気になったのは次のくだりだ。



決して体は丈夫でなく、手術も何度か経験した。会期中も2度、高熱に見舞われ、点滴を打って25分だけ入場した日もある.
それでも「知り合いの子(スタッフ)たちから『明日も来るよね』と言われると、何としても行かなくちゃと思えてきて」。

(「毎日新聞」より)












この感動秘話っぽい文章は、なんだ。







はっきり言って、ドラマチックな流れは必要ないと思う。

「へぇ~」程度の内容に、背びれ尾びれを付けた感が否めない。
斜に構えて解釈をしたため、むしろ嫌悪感すら覚えてしまった。


しかしながら、確かにこの主婦の根性たるや、凄いものがある。

なんだかんだ言って、185日である。

皆さん、小学生の頃の夏休みを思い出してもみてほしい。
ラジオ体操でも、皆勤賞はなかなか難しかったはずだ。

それが、この主婦(山田さん)の場合、なんと半年である。
僕の昨日までの185日間を思い出してみて、皆勤賞モノといえば、


食事と排泄


この二つだけである。

そう考えてみると、やはりこれはこれで凄い記録である。
偉業と言っても差し支えないだろう。

ただひとつ気にかかるのは、







この期間、彼女の家族は大丈夫だったのか






ということである。

いち主婦が、半年間ものあいだ万博に通い詰めだったのだ。

旦那は、子供は、果たしてどんな想いで彼女を見守っていたのか。


「さ、ご飯食べなさい」

「母さんは?」

「母さんは、…今日も万博だ」

「また?」

「…ああ」

「どうして、母さんが毎日通わなきゃいけないの?」

「…いいから、食べなさい」

「父さんは、いいの?」

「何が?」

「…万博に、母さんを取られてもいいの?」

「…ははは、なに言ってるんだ」

「…笑いごとじゃないよ!このままで本当にいいの?」

「…いいんだよ」

「いいって…、父さん!」

「…さ、もうこの話はお終いだ」

「いいわけないでしょ!父さん!」

「…止まない雨は、無いだろう?」

「えっ?」

「…終わらない万博も、無いんだよ」

「父さん、なにも解ってない!これ見てみなよ!」




閉幕しても、山田さんの“バンパクライフ”は終わらない。知り合ったスタッフの母国を訪ねる旅を考えているほか、今年冬には2010年に万博を開催する上海の下見にも訪れる予定だ。

(「毎日新聞」より)




「!!!」

「母さんの万博は、止む気配が無いんだよ!」

「………」

「万博で家族が崩壊してもいいの?」

「………」

「父さん!父さんってば!」


(続く)


とまあ、山田さん一家への興味は尽きない。

興味は尽きないところだが、結局のところ「万博とは何か」という、
根本の問題と同じく、謎のままである。

それもこれも、山田さんご本人に会えれば一度に解決するのだけれど、
それは野暮というものであり、むしろ余計なお世話だ。

とりあえず、山田さんのご健勝を願ってやまない。


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うろ覚え


物事や言葉を曖昧に記憶してしまうことは、よくあることだ。
むしろ、正確に何もかも記憶しておける人間がいたら怖い。

人が曖昧な記憶を紐解くときには、なんとなく自信なさげに、
もしかしたら違うかもしれないけど、的に披露するものであり、
時として、頭の片隅にある記憶を曖昧なまま掘り起こす作業は
第三者からすると馬鹿にしか見えず、歯痒くもあるものである。
(過去記事「BLOOD AND BONES」参照)

しかしながら、その一方で、言葉として間違っていたとしても
誰も指摘することもなく、むしろ当然のように蔓延っている、
そんな言葉も世の中には存在する。

代表的なのは、これだろう。




「うる覚え」




いまさら言うのもなんだが「うる覚え」「うろ覚え」であり、
決して「うる覚え」ではない。

しかし、ネットの検索結果などをざっと見る限りでは、
この「うる覚え」、既に市民権を得てしまっている感がある。

誤用する人間が多いせいか、彼らは一様に堂々としたものだ。

「どこが間違ってんの?」的なオーラがぷんぷん漂う。

わざわざ指摘したところで「なにがいけないのさ?」などと、
簡単に開き直られたりして、むしろ指摘したこちらが野暮で
いけないことをしてしまった気分にさえなるから不思議だ。


とは言うものの、間違っているものは間違っているのである。
やすやすと同意してしまう訳にはいかない。

ここは一度、辞書を引用して確かめておきたい。




【うろ】

「名詞に付いて、不十分な、確かでない、などの意を表す。」

+++

【うろ覚え】

「ぼんやり覚えていること。はっきりしない記憶。」


(三省堂提供「大辞林 第二版」より)






これが「うる覚え」だと、とんでもない結果になるのだった。







【ウル[Ur]】

「イラク南部、ユーフラテス川下流にあったシュメール人の都市遺跡。紀元前3000年には都市国家として栄え、前2000年に全バビロニアを支配した。一九世紀に遺跡が発見され、1919年以来ウーリーらにより王墓などが発掘された。現存する最大規模のジッグラトは高さが約21メートルの三層で、頂部に月神ナンナルの神殿を持つ。」

+++

【ウル覚え】

「ウル[Ur]を覚えていること。または、そのさま。」


(三省堂提供「大辞林 第二版」より)






いったい何を覚えているのだと、問い詰めたくもなってくる。



「うろ覚え」という言葉の持つ意味を、冷静に考え、理解すれば、
どこをどう転んでも「うる覚え」には、ならないはずなのである。


結局のところ、「うろ覚え」の“うろ覚え”による「うる覚え」は
古代ロマンでしかない。


それは“人民の人民による人民のための政治”の遥か昔の話だ。



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習性


習性とは恐ろしいものである。

いつもの調子で、つい、やってしまうだけなのに。

それは、しばしば個人の秘密が暴露されることとなり、
恥ずかしい事件として、はたまた、悲しい事故として、
人々の記憶に刻まれることになるのだった。


久しぶりに会った知合いの女性と、食事をしたときのことだ。

ファミリーレストランは、週末だからか混んでいた。
僕らは少し待った後、入口付近の席へ案内された。

大きなメニューを眺め、店員を呼び、注文した。

僕らは、料理が来るまでのあいだ、他愛のない話をした。

彼女は、最近仕事で疲れているの、と水を一気に飲んで、
ふぅ、と大きく息をついた。

飲食業をしていているのだが、毎日大変なのだという。

突っ込んだ話を振ろうとすると、彼女は交わすように
ドリンクバーへと向かった。

よいしょ、とわざと声を上げて立ち上がり、もうオバサンだよ、
と軽く愚痴る彼女の後に、僕も続いた。

ドリンクバーでの彼女は手際が良く、そして几帳面だった。
自分のドリンクを注ぎながらドリンクバーを整頓していた。

「店が汚れてるのを見ると、つい掃除しちゃうのよ」

彼女は、悪戯っぽい笑みを浮かべ、席に戻っていった。
戻る途中で、会計に向かう男性客とすれ違った。

レシートを手に持ったその客は、とにかく冴えない風貌で
『電車男』に登場する“アキバ系”そのものだった。

本当にこういう奴って居るんだ、と変に感心していると、
突然、彼女がこう言った。
















「ありがとうございましたっちゃ」















客が客に礼を言うことの奇妙さを、さらに突き抜けた、
まさかの「っちゃ」発言。



戸惑いながら何度もこちらを振り返る男性客。

そして、呆然と彼女を見つめる僕。


彼女は自分の発言にも、周りの状況にも全然気づく様子もなく、
何事も無かったかのように席に着いてジュースを飲み始めた。

思わず、言葉が口から漏れたのだろう。
条件反射のようなものなのだろう。

とにかく僕は、彼女がコスプレカフェで働いている事実を
図らずも知ることとなったのだった。


つくづく、習性とは恐ろしいものである。



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『利き』の危機


世の中の人間は、たいてい右利きか左利きのどちらかである。
稀に両利きなどという器用な者も存在するが、それは変人だ。

この『利き』については、いったい何で判断するかというと
それは『利き手』に頼ることになるのだろう。

箸を持つほうの手だとか、物を投げるほうの手だとか、
そういう判断の仕方が一般的になるのではないだろうか。

だが、この『利き』は全てが統一されている訳ではない。

「箸は右手で持つけど、尻は左手で拭く」
「ボールを蹴るのは右足だけど、鼻をほじるときは左手」

など、自分で認識している『利き』じゃないほうが
しっくりくる行動は、誰にでもあるだろう。

そしてその行動は、しばしば致命的な問題となるのだった。



例えば、先日、街で見かけた男がそうだった。彼は、


右手で持った携帯電話を、左の耳に充てていた。



俗にいう“ねじれ現象”である。



『利き手』と『利き耳』が異なるために起こった悲劇だ。

長身でスマート、会話の中身もビジネスライクな感じで、
デキる男っぽいのに、いかんせんシルエットが滑稽だった。

まるで「矛盾」というタイトルの芸術的なポーズである。

そんな彼をしばらく観察していると、異変が起こった。



どうやら、右の耳が痒くなったらしい。



しきりに、右耳を右肩にこするような動きを見せ始めた。

まるで“ビートたけし”のような仕草になっていた。


電話を持つ手を変える、もしくは、受話器を充てる耳を変える


このいずれかの行為で解決する問題だったが、彼は強情だった。



左手で、右の耳を掻き始めた。



結果、彼は顔の前に「×」を創りだすこととなり、その様子はまるで






ビジュアル系のミュージシャンが

サビのパートで盛り上がったときに

自分の顔を手でまさぐるような







そんな感じ。








お前は、Gacktか。






軽くツッコミを入れそうになったが、会話が聞こえなくなった瞬間、
事態が思わぬ方向へ向かったのである。

どうやら、

通話を終えると同時に、右耳の痒みも収まったらしい。


両耳にクロスするように充てていた手を、彼はそっと解いた。


ふわーっと、だらーんと。


それに合わせて、僕の脳内で勝手にメロディーが流れ出した。















ジャンガジャンガ ジャンガジャンガ♪









まさかの“アンガールズ現象”





『利き』へのこだわりは、時として人を駄目にする力を秘めている。



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いただきます


挨拶というか礼儀というか作法というか、とにかく、
そういうものが失われつつある世の中になってきたように思う。

もしかしたら、それは僕個人の問題で、世間一般には
まだまだ保たれているのかもしれないのだが、先日、
それを象徴する出来事に、出くわしたのである。


週末のことだった。

休日出勤のために昼過ぎに会社の最寄駅に着くと、
先に飯でもさっと食おうと、立ち食い蕎麦屋に入った。

券売機に小銭を入れると、切符ほどの食券が出てきた。
カウンターで手渡すと、ほんの1分ほどで蕎麦が出来た。

安くて、早い。そして、たいして美味くもない蕎麦だ。

そんな蕎麦をすすっていると、客が一人、入ってきた。



いわゆる“スダレ禿げ”のおっさん



久しぶりに見たなあ、という感じの髪型をした男は、
こう言っちゃ申し訳ないが、身なりもくだびれた印象で
一応スーツを着ているのだが、ヨレヨレ感が否めない。

職安に通っています的な雰囲気を醸し出している彼に
立ち食い蕎麦屋はとても似つかわしい場所のように思え、
とにかく「哀愁」の二文字がプンプン漂う男だった。

もり蕎麦を注文した彼は、蕎麦の乗った盆を持つと、
どことなくふらふらとした足取りで僕の隣に立った。

箸入れの筒から割り箸を一膳抜くと、その手を盆に置いた。

そして彼は、軽く頭を下げながら、言葉を噛み締めるように、
こう言った。




「いただきます」




僕は、思わずハッとした。


なんてお行儀の良い人なんだ。


そして、自分の愚かさに気づかされた。


僕が食事のとき、ちゃんと挨拶したのはいつだろう。


“食事ができる”ということは、有難く、感謝すべきことだ。

「いただきます」「ごちそうさま」という、日本人として、
いや、人間として当たり前の真摯な気持ちを、
いまの僕は、どこかにすっかり置き忘れてしまっていた。

息子と食事する際には、「『いただきます』は?」などと
偉そうに教育してるくせに、自分ひとりで食事するとき、
ちゃんと挨拶をした試しがない。

時折、スダレ髪をセットし直しながら蕎麦をすすっている彼を、
“哀れな親父”と見ていた自分が、恥ずかしくなった。







「ごめんなさい」






僕は心の片隅で、彼を蔑んでしまったことを詫びながら、
隣をチラッと横目で見た。



そのとき。



彼の奥に位置していた入口の前を、女学生が自転車で通り過ぎた。


ほんの、一瞬だった。


だが確かに、風の影響でスカートが捲れて白い何かが、チラッと。















「ごちそうさま」













僕は至って真摯な気持ちで、そう呟いたのだった。



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キザ


いきなりだが、キザな男は、どうかと思う。

不朽の名作『カサブランカ』で、ハンフリー・ボガートは
イングリッド・バーグマンに言う。


「君の瞳に乾杯」


なんてキザなのだろう・・・。素敵・・・。

そう言いたいところだが、僕は思うのである。

言われたバーグマンは、台本上の台詞でなければ、





「は?」





と思っていたのではないかと。

名作を台無しにする気はないし、映画史に残る台詞には違いない。

しかしながら、これは創られたイメージとしての名台詞であって、
実際にはそんなこと言われても何のことやらさっぱりじゃないか。

瞳だったから良かったものの、例えば、


「君の鼻に乾杯」


では、どうにも困ったことになるのである。
サンタがトナカイに言うなら解るが、それはまた別の話だ。

結局のところ、あのボガートでさえも、目から鼻に変わっただけで
形無しになってしまう危ういものなのだ。

だから僕は、自信を持って言おう。



そもそも、日本人男性にキザは似合わない。



そしてこのことは、男性だけでなく女性も認識しておくべきである。

男のキザな台詞に思わずうっとりするような女は、得てして
周囲の人間から、馬鹿を見る視線を向けられてしまうからだ。

かなり手厳しいことを言うようだが、これには訳があるのだった。



ある日の深夜の話だ。


僕が遅い食事をしていると、一組のカップルが入ってきた。

男は、立ち振る舞いからしてキザな雰囲気を漂わせ、
女は少し酔っているのか、頬を赤らめて男の後に続いた。

男は、女をわざわざカウンターへエスコートして座らせると、
自分もスマートな仕草で女の隣の席に腰掛けながら、
小さく片手を上げて店員を呼び寄せ、そして言った。





「いつもの、ちょうだい」





僕は、その台詞に少なからず驚いてしまった。

だが、男は臆することなく、こう付け加えた。





「あ、それから・・・」





僕が「まさか」と思った次の瞬間、その予感は的中した。





「彼女にも、同じものを」





キザの真骨頂である。

男は女に微笑みかけ、女は何も言わずに微笑み返すと、
そのまま男にしなだれかかった。

オーダーを受けた店員は、男に軽く一礼すると、踵を返し、
そして叫んだ。




















「並盛つゆだく、ふたちょおぉー!」















キザな男に完敗である。




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