Home > 2006年01月

2006年01月

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


シンプルにしながら参加中。記事を読んでいただいた上にこのボタンを押してもらえたなら二重のヨロコビです。ありがとう。


  • Comments (Close): -
  • TrackBack (Close): -

1年分


企業が仕掛けるキャンペーンやテレビ番組が提供する目玉賞品で、
『1年分プレゼント』という内容のものを目にすることがある。

ある品を1年間分あげてしまおう、というちょっとした暴挙である。

1年分とは、365個セットだったり、年間の平均消費量だったり、
対象となるものによって、その定義は曖昧なのだが、それにしても





1年分て。





この発想は、どうかと思うのである。

たとえば、あるとき『カップラーメン1年分』に当選したとしよう。

平和な毎日を過ごしていたある日、いきなりダンボールの山が届く。

なんのことかと驚いてる暇もなく、配達業者は大量のダンボールを
家の玄関に置いてゆく。

茫然としながら納品書にサインをし、ダンボールを開梱してみると、
そこにあるのは、ただただ、カップラーメンばかりなのである。

とりあえず、数を数えてみると、同じ商品がきっちり365個ある。

毎日食べろと言わんばかりの数字が、ますます途方に暮れさせる。

途方に暮れながらも、ひとつ作って食べてみる。

それなりに美味いが、心に去来するのは喜びよりもむしろ不安だ。

とりあえず、部屋の中が落ち着くまでは誰も呼べないな、と思う。

だって、そうだろう。

仮に、知り合いが来たとする。

知り合いは、ダンボールの山を見ると、まず間違いなく言うのだ。










「え?そんなに『ラ王』、好きなの?」










殴りたくなる瞬間である。

誰が好き好んで、ひとつの商品を365個も買うものか。

俺は、そんなに計画性のない人間に見えるのか。俺は、馬鹿者か。

悲しいかな、この一言がこれまでの二人の関係に暗い影を落とす。


さらに、別の知り合いも、来るなりダンボールの山を見て、言う。










「なに?ラーメン屋はじめるの?」










蹴り飛ばしたくなる瞬間である。

いったいどこの誰が、そんなことを考えるというのか。

俺は、カップラーメンを元手にしてラーメン屋を興そうとする、
そんな奇特な人間に見えるのか。俺は、変人か。

悲しいかな、この一言も、これまでの関係に亀裂を生じさせる。


そして、また別の知り合いが来たとき、事態の深刻さに気づく。

それはつまり、こういう深刻さのことだ。


その知り合いは、他の者と同様に半端でない数のラーメンに驚く。

ひとしきり驚いたら、せっかくだからと365分の一杯を食べる。

カップラーメンを食べながら、事の顛末を興味深く聞いたりする。

なるほど、と一応の理解を示した後で、彼は事も無げに言うのだ。















「じゃ、お前、今日から『ラ王』な」










泣きたくなる瞬間である。

プレゼントに当選したばっかりに、ニックネームまで貰うことに。

俺は、知らない人に「ラーメン大好き人間」という先入観ありきで
見られ続けてしまうのか。俺は、小池さんか。

悲しいかな、この一言は、これまでの人生を一変させる力を持つ。


結局のところ、『1年分プレゼント』に隠されているのは、
せっかく当たったプレゼントに振り回される人生、である。

おおげさに聞こえるかもしれないが、今回挙げたラーメンの例を、
他のものに置き換えてみるといい。


たとえば、それがコンドームだったら、どうだ。


考えただけで、相当やっかいなことになりそうである。

なにしろ、1年間分のコンドームが自宅に所狭しと置かれている。

使うあてがあるのか、ないのか、それはそれで問題のひとつだが、
なにはともあれ、当選したという事実を、口外できる話ではない。

とにかく、商品の特性上、外に漏らすわけにはいかないのである。










オチはともかく、とりあえず、いろいろ押してみてほしい。




あとコチラも、ぜひ投票してほしい。

『日本ブログ大賞2006(読み物部門)』


ぜひ投票してほしい理由は、コチラ。

『にんげんだもの』


〔特別編集後記〕++++++++++++++++++++

今回の文章は、ここ数日の本ブログへのアクセス数が、これまでの
1年分に相当したという事実から、インスパイアされたものである。

原因は、パイ氏の『虚言症の戯言』でご紹介いただいた、
ということに尽きる。
大変光栄であると同時に、その人気と影響力には非常に驚いている。

おそらく、いまご覧いただいている殆どの方は、パイ氏のブログを
経由しているのではないかと思われるが、そうはいっても、やはり
『虚言症の戯言』について触れさせていただきたい。

年齢にして10歳以上若く、身長にして10cm以上高い、パイ氏。
彼の書く文章はシンプルな面白さがあり、そして人懐っこさがある。
そして、本ブログを、世辞が大半とはいえ最大級で賞賛してくれた、
その事実にこそ、彼の人柄の良さがあらわれていると思う。
師匠とまで呼んでいただいたが、こちらが師匠と呼びたいくらいだ。

若いのに、偉いのねえ、である。若いのに、面白いのねえ、である。
若いといえば、読者層も若いようで、コメント欄がピチピチしとる。

まあ、それらをひっくるめて、すべてが魅力的なブログなのである。


パイさん、『虚言症の戯言』経由でお越しの皆さん、本当に有難う。

こんなブログで良ければ、ぜひまたお越しいただければ幸いに思う。

あとは、ネットもほどほどに、ぜひテストも頑張っていただきたい。



シンプルにしながら参加中。記事を読んでいただいた上にこのボタンを押してもらえたなら二重のヨロコビです。ありがとう。


  • Comments (Close): -
  • TrackBack (Close): -

フリーター

先日、昼食で立ち寄った定食屋のテレビから国会中継が流れていた。

久しぶりに見る国会中継では、衆議院本会議の様子が映し出され、
なにかと問題が山積みの今日においても、依然として、どこかしら
牧歌的な、とぼけた雰囲気が漂っていたのだった。

そんななか、小泉首相が例の調子で代表質問の答弁していたのだが、
僕は、首相のある言葉を聞いたとき、自分の耳を疑った。

彼は答弁中、ずっと「フリーター」のことを、










フリータ










と言っていたのである。

最後を「ター」ではなく、明確に「タ」で止めていたのだ。



フリータ


明らかに、おかしな言葉になっとるのである。

しかも言葉が間違っているため、イントネーションもおかしい。

文章で書くと難しいので、他の言葉でニュアンスを伝えよう。

たとえば、子供向けに解りやすく置き換えるなら、



べジータ 



もしくは



フリーザ



お酒が好きな方向けに置き換えると、



テキーラ



野球ファン向けに置き換えると、



ズレータ



映画ファン向けに置き換えると、



ニキータ



性愛の対象を少女にのみ求める心理に置き換えると、



ロリータ



まあまあ、このくらいにしておこう。

とにかく答弁のあいだじゅう、そんな感じのイントネーションで
ずっと「フリータ」「フリータ」と発言を繰り返していたため、
肝心の答弁の中身も忘れるほどに、違和感が出まくりなのだった。

近頃、あるパソコンのCMで、石田純一が木村拓哉のことを
「キムタ」と呼ぶ内容のものがあったが、まさにあんな感じ。

むしろ、大真面目な顔で言ってるぶん、より間抜けに見える。


【フリーター】

《和free+Arbeiter(ドイツ)から》
定職につかないで、アルバイトをやりながら
気ままに生活しようとする人。フリーアルバイター。

「大辞泉」より



要するに、フリーのアルバイターだから、フリーターなのである。

しかし、悲しいかな、我が国の首相は「フリータ」と言い続けた。

えてして、若者達は意外とこういうところを見ているものである。

「大人は解ってくれない」

というような心の闇は、そういった些細なところで生まれることを、
肝に銘じていただきたい。

そう強く思う一方で、こんな調子ならば、小泉首相は、この他にも
世間一般に知れ渡った常識的なカタカナ言葉を間違えて覚えている、
そんな可能性だって否めない。

例えば、件のフリーターが文章を書くことを業とすることになり、
晴れて「フリーター」から脱することができたとしよう。

当然ながら、その者の呼称は、世間一般的に言うところの



ライター



になるはずだが、首相は、立派に働き始めた彼を、残念ながら
こう呼んでしまうのである。










ライタ















雷 太










あろうことか、七曲署の『ゴリさん』になってしまうのだった。

言われた彼は、悲しみのあまり家に引きこもってしまうだろう。

こうして、ライタはフリータを通り越し、ニトになるのである。



(了)


シンプルにしながら参加中。記事を読んでいただいた上にこのボタンを押してもらえたなら二重のヨロコビです。ありがとう。


  • Comments (Close): -
  • TrackBack (Close): -

元気です

大相撲の初場所は、栃東の優勝で幕を閉じた。

朝青龍、琴欧州、と昨年は外国人力士ばかりが目立っただけに、
久しぶりに日本人力士が挽回したのは素直に喜ばしいことである。

とはいうものの、僕はこの大相撲において、そのテレビ中継での
コメントで、いささか気になっていることがあるのだった。

ご存知のとおり、大相撲には「番付」という力関係の序列があり、
横綱は優勝が義務付けられ、大関は優勝争いに加わってナンボだ。

だが、そうでもない力士、つまり番付の低い力士が白星を重ねると、
実況は取組みの後で、こう添えるのだ。



「元気です」



僕は、この「元気です」が、どうもひっかかるのである。

例として、幕内下位(前頭14枚目)の「時津海」を挙げてみよう。

優勝こそ逃したものの、13日目までは優勝争いにも加わり、
最終的に12勝3敗の立派な成績で、みごと技能賞も獲得した。

実況は、そんな時津海の予想外の健闘っぷりに舌を巻くのである。





「時津海、今場所は、元気です」





しかも、時津海は32歳。相撲界ではベテラン力士だ。

この「元気です」には、時津海の番付(ポジション)に加えて、
年齢的な側面も含まれていることは、想像に難くない。


勝ち越したら御の字とちゃうん?なポジションなのに。
そろそろ引退を考える年なんちゃうん?な年齢なのに。

そんな潜在意識から、実況者の脳裏には、

「番付の低さや年齢の高さを考えると、ビックリだよね」

という予想外の驚きが、大いに含まれるのである。

つまり「元気です」という台詞において最も注目すべきは、
いちおう言葉では称えてこそいるものの、その根底に漂う










シニカルな空気










である。

なんとなく、馬鹿にした印象を受けるのは僕だけではないだろう。

さっきの実況を言い換えてみると、よくわかる。










「32歳の大男、意外と仕事が好調で、元気です」










いかがだろうか。

僕が時津海だったら、間違いなく怒る。

いくら仕事が順調で上機嫌だとしても、いい気はしないはずだ。



さらに、別の角度から考えてみることにしよう。

これまでは「元気です」と漢字で表記してきたが、たとえば、
これが平仮名だったら、さらに恐ろしいことになるのである。


宮崎駿監督の映画『魔女の宅急便』のメインコピーはこうだ。





「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。」





糸井重里氏によるこのコピーは、主人公の少女・キキの心象を
そのまま作品全体へ投影させた、すばらしい一文だといえる。

だが、これが時津海の言葉となると、大変なことになるのだった。










「(六日目で春日王に敗れたときは)
 おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。」

 (時津海 談)











なんというかもう、世界観が台無しなのである。


時津海は自ら「げんきです」と言わないにしても、これはひどい。

すぐさまコメントを撤回して、全国ジブリファンへの謝罪行脚だ。



結局のところ、この「げんき」という単語の意味や響きそのものが
大のオトナに対する表現としては不向きなのである。

オトナは、それぞれの立場、さまざまな状況で、いろいろ抱えつつ、
それでも皆が、それなりに一生懸命なのである。

元気があるとかないとか、いちいち言ったり感じたりする暇もなく、
元気があろうがなかろうが、とにかく日々、頑張ってるのである。



そう、「頑張ってる」のだ。


元気か否かは、オトナはどうでもいいのである。

頑張るオトナで、経済が成り立っとるのである。

元気かどうかは、とりあえず二の次なのである。

オトナが頑張るから、世界は回っとるのである。


さっそく、時津海への実況に置き換えてみよう。















「時津海、今場所は、頑張ってます」










なんか、いつもはあんまり頑張ってないみたいで、
これはこれで、やっぱりむかつく。



(了)


シンプルにしながら参加中。記事を読んでいただいた上にこのボタンを押してもらえたなら二重のヨロコビです。ありがとう。


  • Comments (Close): -
  • TrackBack (Close): -

腕を振って歩く

歩くとき、人は腕を振る。

右足を出したときには、左腕が前方に振れ、右腕は後方に振れる。
左足の場合は、その逆だ。

これは人間の本能としてあらかじめ備わっている動きであり、
もし、歩くときに右腕と右足が同時に出てしまう者がいたら
すぐに医者に診てもらったほうがいい。

念のため断っておくが、あえて「手を振る」という表現で
書かなかったのは、いわゆる「バイバイ」のように手のひらを
左右に振る行為と間違える方がいるかもしれないからで、
常に「手を振って歩く」のは、皇族か王室くらいのものである。


僕は、この「腕を振って歩く」行動になぜか敏感だ。

というのは、街には「尋常じゃないくらい腕を振って歩く者」が
存在するからである。

つい先日も「尋常じゃないくらい腕を振って歩く者」を見た。


女だった。

スーツ姿が良く似合う女だ。

エリートOLっぽい風情で、男社会でバリバリと仕事をこなす、
そんな雰囲気を醸し出している女。

彼女は、急いでいるようだった。

しかし、走りはしない。

やや大股気味の、早歩きである。

ブランド物のバッグを右肩から提げていた。

歩行による振動を抑えるために、右腕でバッグを押さえている。

問題は、左腕である。


これがもう、すごいフィードバックなのである。


それはまるで、









往年の、氷室京介の決めポーズ










もはや「CLOUDY HEART」である。

後方を歩く者を“傷つけてばかりだったけど”なのである。

とにかく、その腕の動きがまるで手刀を振り回しているようで、
周囲の者に恐怖心を与えてしまうのである。


だが一方で、この「尋常じゃないくらい腕を振って歩く者」は、
我々に滑稽な印象も与えてくれる。

走りはしないわ。私はデキる女だから。
急いでるけれど。私はデキる女だから。
颯爽と歩くのよ。私はデキる女だから。

彼女にしてみれば、自分を演出しながら街を歩いてたのだろうが、
四肢で唯一、役割を与えられなかった左腕が残念な姿を晒すのだ。

腕の振り具合が尋常でないため、その姿はまるで、
水面下でもがく白鳥の足が、見えてしまっているかのようだ。

見ようによっては、早くバトンをもらいたくてうずうずしている、
リレー走者のようにも見え、そこに映し出されるのは、ただただ
ミスマッチな都会の風景である。


そしてもうひとつ。

残念な姿の象徴ともいうべき存在が、振れ過ぎた腕の先にある、


手首


この手首の動きにこそ、僕は警笛を鳴らしたい。

大きく腕が振れる。

ダイナミックなモーションで、後ろに振れる。

後方の相当高い位置まで腕が上がる。

そして、ヒムロック完成。


問題は、次の瞬間だ。


腕が振り切った瞬間、その遠心力だか反動だかが手首に伝わって、
伸びきった腕の先で、手首だけが





だら~ん→クイッ




となっちゃうのである。

つまり、勝手に、妙にだらしないスナップを効かせるのだ。


これは十中八九、間違いなく、なる。


そして、この“だら~んクイッ”は、とてつもなく滑稽な動きだ。

どんなにデキる者であっても、どんなに聡明な者であっても、
隠された恥部が白昼堂々と露わになってしまう瞬間なのである。


僕は、この“だら~んクイッ”を見ると、いつも運動会を思い出す。

運動会の行進練習のとき、体育教師が拡声器を通しながらの大声で

「指先まで集中!」

と、怒鳴り散らしていたことを思い出すのである。

あのときの、体育の授業での教えを守ってくれていれば、
彼女のあんな姿は見ずに済んだかもしれないのに。

体育の授業でも、大人になって活きてくるものだと関心する。


まあ、かといって、忠実に守る必要など全く無いのも事実だが。

体育教師の教えを忠実に守りながら日常生活を送るのは、嫌だ。

考えてもみてほしい。

電車を待つホームや、赤信号待ち、何かの行列に並んでいるとき、
からだが勝手に「小さく、前ならえ」をしてしまうのである。

これは、かなり恥ずかしいことである。



そもそも「小さく前ならえ」とは、いったいなんだったのか。

なぜ、先頭の者だけ偉そうに腰に手を当てるのか。


訳の解らぬままに、ただ盲目的に従っていた教えのひとつだが、
もしもあの動きに、

“社会生活においては、他者との一定の距離感を計りなさい”

という意図が隠されていたのならば、話は別である。

なぜなら、それはそれで、

「他者とのコミュニケーションにおいて障害の多い現代への教え」

だといえなくもないからだ。


そうなると「尋常じゃないくらい腕を振って歩く者」は、ますます
現代社会における闇としてクローズアップされてしかるべきである。



などと考えながら歩いていると、僕はいつしか歩行がぎこちなくなり、
気がついたときには、右手と右足が同時に出てしまっていたのだった。



(了)


シンプルにしながら参加中。記事を読んでいただいた上にこのボタンを押してもらえたなら二重のヨロコビです。ありがとう。


  • Comments (Close): -
  • TrackBack (Close): -

Home > 2006年01月

Search
Feeds
Others
あわせて読みたいブログパーツ

Page Top

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。