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2006年02月

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地球は青かった

先人達は、事柄の本質をいたってシンプルな言葉だけで見事に捉え、
万人の胸に響く「名言」として、あらゆる思想・哲学を遺してきた。

とおおげさに言ってはみたものの、実は「名言」という言葉自体は
広義であり、世界は名言で溢れているといっても過言ではない。

そんな中、僕が気になるのは「特別な状況だから生まれた名言」だ。

世界一とか世界初とか、日常にない環境だからこそ名言に成り得た、
そんな言葉である。


例えば、人類で初めて宇宙飛行を成し遂げた者は、こう言った。






「地球は青かった」





名言である。

シンプルに、本質を見事にとらえている。



ていうか、そのまま。



ただ、見たまんまの印象を答えただけなのである。

名言には違いないのだが、言ったもん勝ち、という気がしてきて、
これなら別に「地球は丸かった」でも良かったのではないか。


 「ほら、月も太陽も丸いからさ。
  地球も丸いかもなって、うすうす思ってたのよ。
  そしたら案の定、丸いじゃない。
  で、思わず『丸かった』って言っちゃった」


そんな気持ちでユーリ・ガガーリンが発言していたとしても、
おそらくは名言として語り継がれていたに違いないのである。


そして「青い」「丸い」という客観的事実が名言になるのなら、
彼が、興奮気味になって感情に任せた発言をしていたとしても、
やはり名言になった可能性は高いと思う。





「地球は凄かった」





以下、ガガーリンの弁である。



 「なんかさ、とにかくスゴいんだわ! 
  なんたって、俺、人類初じゃない?
  いやあ、マジいいもん見せてもらった。
  もう『凄かった』としか言えないって」




これはこれで、臨場感溢れる名言として語り継がれた気がする。


だが、幾らシンプルで本質を捉えているとはいえ、名言として
これは駄目だろうと思われるものもある。

たぶん、こういうのはよくないはずだ。















「地球は見つかった」









そりゃあ、そうだろうよ。

そうでなければ、あんたは何のために行ったのかという話である。

当たり前の事実だとしても、これはちょっといただけないと思う。


ましてや、こういうのも駄目である。















「地球は馴染めなかった」









もう宇宙人気取りである。

地球にいたときに、どんな嫌なことがあったのかは知らないが、
ちょっと大気圏から出ただけで、外からモノを見られては困る。


そして、こうなってくると、もう収拾がつかない。















「時給は安かった」










いったい、なにを言い出すのだ。

命を賭けた仕事にしては、割に合わない額だったかも知れないが、
世界中が期待する中での発言がこれでは、お粗末にもほどがある。















「野球はどっち勝った?」










あんたは、どこまで野球バカなのだ。

宇宙に出ているときでさえ、ずっと試合が気になっていたのか。















「故郷はカルカッタ」










もう、なにがなんだか解らない。

宇宙飛行を終えて、いきなり自己紹介などされても困るのだ。


そもそも、ガガーリンはロシア人である。


嘘をついてまで、韻を踏む必要はないのである。

結局、名言云々ではなく僕のさじ加減ひとつだ。


“お遊び”が過ぎたので、最後に興味深い数字を紹介したい。



1時間48分



1961年4月12日、有人宇宙船『ヴォストーク1号』が、
A-1ロケットによって打ち上げられ、地球周回軌道に入り、
大気圏外を1周して帰還するまでに要した飛行時間である。


そして。

僕は、この文章を書くのに、















もう、3時間以上かかっとる










「地球は丸かった」
「地球は凄かった」
「地球は見つかった」
「地球は馴染めなかった」
「時給は安かった」
「野球はどっち勝った?」
「故郷はカルカッタ」


こうして並べると、我ながら自分の馬鹿さ加減に呆れてしまう。

なにしろ、これらを生み出す間に、地球を2周できるのである。





「短い人生は時間の浪費によっていっそう短くなる」

―サミュエル・ジョンソン(1709~84)



(了)


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祭りのあと

バレンタインデーが、終わった。

バレンタインデーを“ドキドキするべき青春の行事”として考えている
(過去記事『バレンタインデー』参照)僕からしてみれば、
“ドキドキ祭り”が終わって浮かれた余韻を微かに残すいまの時期は、
さしずめ“祭りのあと”といった雰囲気だろうか。

女子諸君は、思い切って勇気を出した甲斐があったとか無かったとか、
それぞれだと思うが、問題は男子である。



いったい何個もらったか。



どうでもいいことだが、これが勲章になる時期が確かにあるのだ。


当日、男子は獲得に向けて、幾つかの運命の瞬間を待ったはずだ。

まず訪れる運命の瞬間は、登校時である。


下駄箱を開けるとき。


これは、モテる男子になると、ドサドサ落ちてきて漫画かよ、と
ツッコミを入れたくなるくらい入っていることがある。

しかし、入っていなかった男子は、こう思った。










「衛生上、喜ばしいことじゃないから」










苦し紛れのひとことである。

普段からろくに手も洗わないくせに、こんなこと言うのだ。

今日だけ念入りに歯を磨いたくせに、綺麗好き気取りである。



そんな男子達を待ち受ける、次なる運命の瞬間は教室だった。


机の中を探るとき。


これも、モテる男子になると、もう机の上までてんこ盛りで
どうにもこうにも困り果てるしかないことがある。

そして一方で、やはり入ってなかった男子は、こう思った。










「まだ、筆箱がある」










無意味な行動に走るのである。

どう考えても、ありえないのだが、いちおう確認するのだ。

チロルとか、一口サイズが入ってる可能性に、賭けるのである。



そんな男子達にとって最後の、運命の瞬間は放課後だった。


下校するとき。


これまた、モテる男子になると、一歩歩くたびに呼び止められ、
告白の順番待ちの列ができて整理券が配布されることがある。

一方、結局誰にも呼び止められなかった男子は、こう思った。










「牛歩戦術、意味なかった」










白旗をあげるしかないのである。

もうチョコさえ食べられれば、それでいい気になるのである。

だが、いつものコンビニでは、見栄を張ってチョコは買わない。



そんな“ドキドキ祭り”が、終わった。



果たして、男子諸君の今年の獲得数はいかがだっただろうか。

かろうじて一個だったとか言ってる君、母親から貰ったぶんを
カウントしているようでは男としてはまったく駄目である。


そこで、肩を落としている男子諸君に、ある名言を紹介したい。


かつて、大日本帝国海軍において軍神としてあがめられていた、
連合艦隊司令長官・山本五十六(いそろく)元帥の語録だ。





 苦しいこともあるだろう

 云い度いこともあるだろう

 不満なこともあるだろう

 腹の立つこともあるだろう

 泣き度いこともあるだろう

 これらをじっとこらえてゆくのが

 男の修行である


             山本五十六






いかがだろうか。

この言葉について、あーだこーだ言うのはよそう。

男なら、きっと何かしら思うところがあるはずだ。

ただし、くれぐれも注意しておきたいのは、















56個は貰いすぎ










と思うのは、ただの被害妄想に過ぎない、ということである。


じゃあ伊丹十三は13個貰ったのか、とか言われても困るし。


(了)


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バレンタインデー

バレンタインデーである。

日本では、女子が意中の男子にチョコレートを渡す日とされる。

三十路を過ぎると、それは単なる習わしぐらいにしか思えてこず、
本気でドキドキできるのは、高校生くらいまでなのでは、と思う。

いや、なにかと低年齢化している現代の傾向からすると、もはや
高校時代は、既にチョコごときでドキドキしない可能性すらある。

むしろ、高校生のドキドキといえば、チョコの受け渡し現場より
妊娠検査薬の結果を待つ現場の方が、数として多いかもしれない。

そう思ってしまうほどに、ジャニーズのヤンキー化が顕著だ。

KAT-TUNは、なんか怖いし。NEWSは、みんな呑むし。

だいたい『修二と彰』とかいう前に、





もともと、君らは、誰と誰だ。





ただのジェネレーションギャップだとしても、そう問いたくなる。

とにかく、田舎の純情高校生だった僕のような人間が、上京して
十数年も東京の高校生を見続けていると、たとえ彼等が日常的に

「まあ、キメるほうのチョコなら、ドキドキするけど」

とジャンキーな会話を交わしていても不思議はない、ということだ。


なんの話だかよく解らないが、僕は現状を憂いていた。


しかし。

先週、朽ち果てた東京の野に咲く、一輪の花を見つけたのである。



仕事の合間に、会社の近所のカフェに入ったときのことだった。

夕方のカフェは、大学が傍にあることもあって、学生が多かった。

サークルらしき集団、就職活動中の学生、勉強している者もいた。

それらの影に隠れるように、奥の席で女性がひとり、佇んでいた。

同じく近所の大学生と思しき女は、うつむき加減の体勢のままで、
最初は居眠りでもしているのだろうかと思ったが、どうやら彼女は
小刻みに同じ動作を繰り返しているようだった。

手先を確認した僕は、ようやく気がついた。





彼女は編み物をしていた。





なんとも微笑ましい姿が、そこにあったのである。

たぶんバレンタインデーに向け急ピッチで作業しているのだろう。

なんだか素敵だな、と思うと同時に、なんだか僕は嬉しくなった。

自分が貰うわけでもないのに、ちょっとドキドキした。

彼女のテーブルを見ると、まだコーヒーに口をつけていなかった。

コーヒーを飲むのも忘れて、都会の片隅で編み物に没頭している。

真剣なまなざしが、端整な顔立ちを、いっそう引き立たせていた。

彼女は、マフラーらしきそれを編みながら、何を思っているのか。

おそらく、来る日に渡す相手のことしか、考えていないのだろう。

周りも、隣に座る僕さえも、見えなくなっているのかもしれない。

その証拠に、彼女は編み方をときどき間違ってやり直していたが、
そのたびに、















「・・・チッ」










と、驚くほど大きな舌打ちをした。















げんなり










正直、可愛い彼女の口元から発せられる獰猛な吐息混じりの音は、
見とれていた僕を、現実の荒んだ世界に引き戻さんばかりだった。

それでも、僕は彼女の手編みの気持ちに惹かれたわけで、多少は
目をつぶって余りある神々しい姿だったことも、また事実である。

というわけで、妙な雑音は聞かなかったことになり、僕の中での
『バレンタインデー前に見たい光景』ベスト1に輝いたのだった。



僕は、バレンタインデーはドキドキする行事であるべきだと思う。

現実としては中学生くらいまでしか体験できないかもしれないが、
女でなく「女子」から、男でなく「男子」への、甘酸っぱい行事。

渡すと同時に告白したい、でもなかなか言えないドキドキ感。

言われる台詞を判ってて、でもただ待つしかないドキドキ感。


どちらも代えがたい貴重な体験で、それはまさに、青春である。


手編みの彼女は、いったい誰に手製のプレゼントを渡すのだろう。

年の頃から察すると、付き合っている恋人のためだと思われるが、
僕としては、まだ恋仲でない、意中の片想いの人であってほしい。

そして「手編み」が告白時の“キラーアイテム”であってほしい。

彼女には、ドキドキ感いっぱいの「青春」をぜひ体験してほしい。


百歩間違っても、ジャニーズ事務所へ送ったりはしないでほしい。

どんなに頑張ってみたところで、所詮はアミーゴどまりである。



(了)


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忘れ物を取りに来ました

いよいよ、トリノ五輪である。

同じ4年に一度の行事としては、サッカーW杯のほうに惹かれるが、
それでもやはり、これから睡眠不足の日々が続くのは間違いない。

悲喜こもごもの17日間が繰り広げられるわけだが、五輪といえば、
必ずと言っていいほど語られる台詞がある。

前回の五輪にも出場し、なおかつメダル獲得を確実視されながら、
表彰台を逃してしまった選手に対して、実況者がこう言うのだ。










「忘れ物を取りに来ました」










僕は、この台詞を聞くたびに、どうかと思ってしまうのである。

だって、そうだろう。

「忘れ物」というからには自分の持ち物であることが大前提だが、
彼(彼女)は、結果としてメダル獲得は成らなかったのである。

実力を発揮できなかったか、それともアクシデントがあったのか。

理由はともあれ、とにかく五輪のルールに則って、そして負けた。

ルールあってのスポーツ競技において、実際に敗れたのである。

「忘れ物」では、決してない。

それでもなお、忘れ物だと言い張るのなら、










ソルトレイクの交番に行け。










そもそもトリノに問い合わせるのが、お門違いというものである。



とここまで読まれて、底意地の悪い考え方だな、と思われる方が
おられるかもしれない。

自分でも、かなり根性の曲がったことを書いていると思うのだが、
しかし、よくよく思い出してみてほしい。


ソウル五輪・レスリング48キロ級で金メダルに輝いた小林孝至は、
獲得した金メダルを、実際に、公衆電話に置き忘れたのである。



本当の意味で「忘れ物を取りに来ました」と言えるは、









この人だけ










である。

忘れ物を取りに来たメダリストが実在する、その事実には驚くが、
それもこれも、メダルを獲得していたからこそできたことなのだ。


「忘れ物を取りに来た」という台詞は、なんとなく格好良さげに
聞こえるが、小林さんの例を除けば、すべて苦い過去でしかない。


結局のところ「忘れ物」とは、前回届かなかったメダルではなく、
それは“期待されながら敗退してしまった事実”である。

「取りに来た」のも、再び期待されているメダルの獲得ではなく、
“4年前には披露できなかったベストパフォーマンス”だ。


だからこそ、メダル獲得への期待を安易に「忘れ物を取りに来た」
と表現されることに、僕は違和感を覚えるのかもしれない。


選手達には、次のバンクーバー五輪の際に「忘れ物を取りに来た」
などという台詞を聞かずに済むくらいのベストパフォーマンスを、
このトリノで見せていただきたいものである。

(了)





ちなみに、こうして最後まで読まれてお気づきの方も多いと思うが、
僕は今回の文章で致命的な「忘れ物」をしており、それはいわゆる、















“笑いどころ”










に他ならない。



(再了)


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深夜タクシー

仕事が深夜に及びがちで、必然的にタクシーで帰宅する機会も多い。

東京から横浜まで、金額にすれば諭吉がおよそ一枚かかる道のりは、
会社の経費とはいえ、非常に勿体無いと思わざるを得ない。

なにしろ、年に数回ならともかく、実際は週に何度もあるのである。

なるべく終電までに仕事を終えて、電車で帰ろうと心がけるのだが、
なかなかそうもいかない。

正直、辛い。

ここまで読んで、「タクシーで帰宅できるなんて羨ましい」などと
思われる方がいらっしゃるかもしれないが、とんでもない話だ。

この深夜タクシーという乗り物、僕には苦痛でしかないのである。



最初に訪れる苦痛は、運転手との会話である。


運転手は、往々にして、やけに機嫌が良い。


それはそうだ。深夜、長距離輸送の“諭吉コース”。上顧客である。

「今日はもう店じまいか」と流しているところへ、僕が呼び止める。

乗車の時こそ、「面倒くせえなあ」という態度がありありなのだが、
ひとたび僕が行き先を告げると、急に舌を出して擦り寄ってくる。

疲れている僕は、シートに埋もれてすぐでも眠りたいくらいなのに、
彼等のテンションは一気に高まり、なにかと会話したがるのだった。


「お客さん、ありがとうございますねぇ」


感謝の言葉は、テンションが高い証拠だ。

「ハウス!」と行き先を告げると、ハァハァ言いつつ自宅に向かう。

まあ、仕事だから当然のことなのだが、上顧客を捕まえた運転手は
“忠実な飼い犬”かのように、僕の疲労困憊具合など気にもせず、
じゃれ合おうとし、甘噛みどころか本気モードでがっついてくる。



会話に生返事で付き合っていると、次なる苦痛が訪れる。


高速道路乗り場である。


ご存知の通り、ETCはすっかり普及していて、タクシーも殆ど、
ETC対応車になっているのだが、そこに意外な落とし穴がある。

タクシー運転手は、料金所の前の遮断機が降りてるにも関わらず、
アクセルを緩めず、スピード全開で猛突進していくのである。

荒野のならず者が、酒場の入口のドアを蹴破る、あの感じ。

もちろん、実際には壊すことなく遮断機は直前で素早く上がるが、
初めて体験したとき、僕は思わず仰け反り、顔を覆ってしまった。

彼等が遮断機の上がるタイミングを熟知するからこその芸当だが、
僕は毎回、絶叫アトラクションに乗っている錯覚に陥るのだった。


さらに言うと、運転手は、かなり飛ばす


深夜。空いている高速道路。仕事はこの客で終わり。諭吉コース。

異常なハイテンションなので、おっさんなのに気分はすっかり、





『頭文字(イニシャル)D』





である。

ほんと、やめてほしい。

緊張の連続で、このとき僕はもう、睡眠どころではないのだった。

むしろ、どんどん目が冴えてしまうのである。

「いま目を閉じると、もう二度と開くことができなくなるかも」

そんな不吉な予感が、脳裏をよぎるのである。



運転手は、ひたすら、僕に話しかけ続ける。

だが、もう何を言っているのかすら、理解できなくなっている。

運転技術を信じない訳ではないけれど、なんか変な汗が出とる。

高揚感に満ちた会話に辛うじて付き合ってはいるが、上の空だ。



窓の外に目を向けると、空はいつのまにか、雨模様。

東京の薄黒い空は、ビル群のネオンに混じっている。

車窓は雨に打ちつけられて、夜は明ける気配がない。



東京は眠らない。 ただ泣いているだけだった。



そして、なんとか堪えていた最大の苦痛が、遂に限界に達した。















運転手さん、口臭キツいよ










まさか、新手の密室殺人か。それとも、ネオナチか。


窓の外に目を向けると、空はいつのまにか、雨模様。

運転手さんの薄黒い息は、僕の溜息に混じっている。

車窓は雨に打ちつけられ、窓は開けられそうもない。



僕は眠れない。 ただ泣いているだけだった。




ときどき「これは、罰ゲームなのではないか」と思うことがある。

業界全体で、運転の講習と口臭の確認を再徹底されることを願う。



(了)


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サクラサク

受験シーズンである。

受験生にとっては、いまが一番たいへんな時期だろう。

そして、そんな学生達が藁にもすがる想いで大量購入しているのが、
商魂たくましい菓子メーカーが世に放つ『縁起かつぎ菓子』である。


ネスレの「KitKat」は、「きっと勝つ」

ロッテの「キシリトールガム」、「きっちり通る」

明治製菓の「カール」は、「受かーる」


とまあ、語呂合わせというより、もはや、おっさんの駄洒落である。

先日も、乗った電車が「KitKat」で車内広告ジャックされていて
メインコピーの「きっと、サクラサクよ。」の文字が躍っていた。

それを眺めながら、自分の頃にはこんなモノ無かったよなあ、と
時代の変化を感じつつ、受験したときのことを思い出したのだった。



当時を振り返ると、僕はいい加減な受験シーズンを過ごしたと思う。

四国の片田舎の県立高校生にも関わらず、上京願望が強かった僕は、
東京の私立大学しか受験しなかった。

2週間ほど、都内でホテル住まいして受験の日々を過ごしたのだが、
そのあいだの生活は、恥ずかしいほどに自堕落な日々なのだった。


そもそも、ホテル住まい、というのが良くなかった。


親の管理下に置かれない日々は、高校生にとってラヴィアンローズ。

赤本や参考書を開いても、いっこうに勉強モードにはならなかった。



僕は、有料テレビを見るのに必死だった。



平たくいえば、エロビデオである。

そのホテルの有料テレビは、一定時間チャンネルを変えずにいると
自動的に課金されてしまう仕組みで、課金までのわずか1~2分の
無料サンプル時間だけが、僕に与えられた勝負の時だった。

なにしろ、宿泊料金の支払いをするのは親である。

絶対に、課金されてしまうわけにはいかない。

僕は細心の注意を払いながら、課金寸前まで破廉恥映像を満喫した。

おかげで、宿泊期間中に受験勉強モードには切り替わらなかったが、
有料テレビの無料時間のモード切り替えだけは異常に上手くなった。

『縁起かつぎ菓子』は無くても、やはり縁起はかつぎたくなる訳で、
「起床時刻が自分の誕生日と同じだったから、受かるはず!」とか、
「受験会場までの信号が全部青だったから、合格するはず!」とか、
各自が何かしらの縁起をかつぎたがったが、こと僕に関して言えば、





「昨夜も有料にならずに済んだから、

 合格できるはず!」






だった。

意味不明な縁起かつぎをする、どうしようもない受験生だった。

東京での臨時一人暮らしは、置かれた立場を忘れるほど刺激的で、
僕は、田舎の純情高校生が考えうる“東京遊び”を満喫した。

最終的には、同じく上京していた同級生と、受験当日にサボって
ボーリングに行った。

そんな最低な僕だったが、幸いにも、幾つかの大学に引っかかり、
翌春から東京で生活を始めて、なんだかんだで現在に至っている。


なんだか無駄に長くなってしまって大変恐縮だが、結局のところ、
僕が受験生に対して言いたいのはこういうことだ。





「君が大学に受かろうが落ちようが、必ず桜は咲く」





春になったら、桜は咲き、そして散る。

それだけのことである。


企業に「きっと、サクラサクよ。」と応援されるのは全然構わないが、
本当のところは、キットもカットも、ないはずである。

受験直前に『縁起かつぎ菓子』を買って合格しようなんて甘いのだ。

それこそ、KitKatほど甘い。

藁にもすがりたい、そんな気持ちは解らないでもないが、ある意味、
そんな思考になってる時点で負けている、と思ったほうがいい。



これまでの自分の力を信じればいいのである。

信じられなければ、頑張るしかないのである。

自分を信じられるところまで、頑張ってみよう。




自分で自分を信じられれば、縁起なんて、どうでもよくなるはずだ。

その証拠といってはなんだが、僕の場合、受験後に母親が上京して
2週間分の宿泊代を清算した際、利用明細には結構な金額とともに
「有料テレビ代」が記載されていたのだった。


そもそも、縁起など、かつげてなかったのである。


僕が、この受験シーズンで唯一、後悔というか心残りだったのは、
最後までもっと必死に勉強すれば良かった、ということではなく、
ボーリングなどせずに受験すれば良かった、ということでもなく、










「どうせ課金されてたんなら、
 
 全編じっくり見ときゃよかった」











ということに尽きる。


大学受験など、これまでの人生を振り返れば、その程度のものである。



(了)


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信じられない人々

世の中には、ものごとを信じられない人がいる。

“信じられない”ということは“疑ってかかる”ということでありそれは、人として、あまり良い反応ではないと思う。なにかにつけて「マジ!?」「うっそ!?」と叫ぶ女子がいるが、ただでさえ態度がデカいくせに、ことさら大きな声で叫び倒すのは甚だ遺憾だ。

まあ、だからって何でも信じきってしまえば良いかというとそうでもなくて、安易に信じちゃったが為に身ぐるみ剥がされたり、風呂場で赤の他人の体を弄ったり、マグロ漁船に乗せられたり、とそれこそ信じられないような憂き目に遭ったりもするご時世なので一概には言えない。

要するに、信じる信じないは個人の裁量によるものだと思うのだがそうはいっても程度ってものがあるはずで、結局のところ僕が言いたいのは「信じられないくらい、信じられない人々」に遭遇した、ということだ。


休日のある日、少し奮発して家族で高級な中華料理店に出掛けた。

メニューは、値の張るコースランチとアラカルトが少しあるだけで客の大半はコースを選択しているようだった。僕らもコースを注文し、ひと息ついていたとき、声が聞こえてきた。


「これ、美味しいわあ」

「ほんとに。それに、色が綺麗ねえ」

「うーん、綺麗よねえ」


隣を見ると三人のマダムが卓を囲んでスープをすすっている。薄緑色のスープ。メニューには『本日のスープ:海の幸とほうれん草のスープ』と書かれていた。

ほどなく、僕らの卓にも運ばれてきたスープは確かに美味かった。息子もおかわりしたがったし老若男女に優しい味といえるだろう。 僕らが食べているあいだも隣席はスープの話題で持ちきりだった。


「どうしたら、こんな色になるのかしらね?」

「なんの色かしら?」


メニューを見ていた僕は「ほうれん草」の緑だと確信していたが、ひとりのマダムが近くにいた給仕係を捕えて上品な口調で尋ねた。


「この緑色は、なんの色なのかしら?」

「ほうれん草でございます」


給仕係は、さらりと説明すると会釈をして去っていった。いたって当然の応対である。メニューにもしっかり書いてあるし。

だが、マダム達は前のめりに顔を寄せ合って、こう抜かしたのだ。





「ほうれん草、じゃないわよねえ」

「ほうれん草じゃあ、こんな色は出ないわよ」

「そうよねえ、違うわよねえ」





僕は、もう一度、静かにメニューを開いた。

『本日のスープ:海の幸とほうれん草のスープ』

確かに、そう書かれてあった。

マダムはスープの名前に気づいていないのかもしれない。料理名を見ればきっとマダム達も納得してくれるだろう。僕はメニューに書かれた事実を知らせたいと思った。


メニューを、わざとらしく落としてみた。


いささか不自然な態度だったが、それがきっかけとなったようで、マダム達は各自でメニューを確認しはじめた。

やれやれ。

村上春樹調になりながら、僕は彼女達の反応に期待した。遠視用のメガネ越しに薄目でメニューを読むマダム達。


「あら見て、奥さん。本日のスープはね、ええと・・・。
 海の幸とほうれん草のスープ、ですって」

「まあ、ほんと、海の幸とほうれん草のスープ・・・」


二人が呟くと、一瞬の沈黙があった後、残ったマダムが言った。










「どうりで、海老がいっぱい」















そっちですか。










思わず意表を突かれたのもつかの間、別のマダムが言った。















「でも、やっぱり・・・

 ほうれん草の色じゃないわよねえ」










そして、さらなるマダムの衝撃の告白が瀕死の僕を襲った。




















「それより、これ・・・


 ほんとに海老かしら?」















貴女方は、どこまで信じないおつもりなのか。

じゃあ、この薄緑色の液体はいったいなんだ。

店員の証言もメニューの記述も全く信じようとしない。いっこうに徹底抗戦の姿勢を崩そうとしない彼女達はこれまでの人生、果して何を信じて、どう生きてきたというのだろう。


彼女達には、どんな確実な報告も、明快な連絡も、真剣な相談も、きっと信じてはもらえないだろう。


そんな僕の想いをよそに、マダム達はスープをすすり続けていた。「信じる者は救われる」というが“信じられないスープ”もまた、スプーンですくわれ、信じられない人の口元へ運ばれるのだった。



(了)




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