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2006年03月

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うっかりの春

うっかりしているうちに、すっかり春である。

気がつけば、明らかに麗らかな春が来ているではないか。

年齢を重ねるにつれて、確実に時の経つのが早くなっているが、
それにしても、今年も四分の一が終了とは、どういう了見だ。

幾らなんでも早すぎやしないか、と誰かに問うてみたいが
そんなことをしている間に、夏が過ぎ秋になりそうで怖い。

まあ、なったものは仕方ないので春を満喫しなければ、と
焦るのだが、一方で僕は春は困った季節だと思うのである。


「雪が溶けて川になって流れてゆきます」

「つくしの子が恥ずかしげに顔を出します」



春といえば、そんな情緒深いシーズンである。

しかも『桜』というキラーコンテンツを持っているので、
他の四季と比較しても大きなアドバンテージだといえる。

しかしながら、というか、恐らくそれゆえに、春は確実に



人々がおかしくなる季節



なのである。


とにかく別れや出会いの多い季節なので感情が揺れやすい。

人間関係が入り乱れ、ついでに頭の中も混乱するのである。


すると、どうなるか。


人前で、感情を表面化させてしまうのである。





つい、うっかり





春の悲劇は、この「うっかり」にある。

誰もが、ついうっかり、自分の世界に浸ってしまいがちなのだ。

いつもなら、自分の感情が出ないようにコントロールするのに、
いまの時期、それが制御不能になる者がやたらと多いのである。

公共の場だろうとお構いなしで、独りで泣いたり笑ったりする。

皆が皆、「うっかり」恥ずかしい自分を見せてしまうのだった。



たとえば先日、電車に乗っていたときのことだ。

卒業シーズン真っ只中であり、送別会シーズン真っ盛りであり、
見るからに、それらしき人々が大勢乗っていた。


ドア付近に立っていたのは、袴を着た女だった。

大学の卒業式だったのだろう。卒業証書の例の筒も持っていた。

春ならではの光景だなあ、と思いながらなんとなく見ていると、
ふいに、外の風景を眺めながら、女は窓を指でなぞりはじめた。

そして。


「ふふふっ」


と微笑みだしたのである。





うっかり





周りに居た者は、誰もが「あ、ちょっとイタいな」と思ったが、
間違いなく、春の仕業である。

春だから、ついうっかり思い出に浸っても致し方ないのである。


かと思うと、気づくと隣に座っていた女は肩を震わせていた。

終始うつむいていた女は、やがて細い指で頬を拭いはじめた。

そして。


「ヒック、ヒック」


としゃくりあげて泣きだしたのである。





うっかり





周りに居た者は、誰もが「あ、たぶん別れたな」と思ったが、
やはり間違いなく、春の仕業である。

春だから、ついうっかり人前で感傷に浸っても仕方ないのである。


終いには、酒臭いサラリーマンの集団がどかどか乗ってきた。

送別会帰りらしき男達は、車内でも容赦なく騒ぎ続けている。

煩いなあと集団を一瞥した瞬間、僕は信じられない光景を見た。

それは。


「フーッ」


集団の一人が、レイザーラモンHGの変装をしていたのだ。





うっかり





さすがに「うっかり」にも程があるが、どうしようもない。

冴えない感じのヤサ男でさえも、春という季節においては、
うっかり、宴会の余興としてハードゲイに変身してしまい、
場の流れで、うっかり、そのまま街を闊歩してしまうのだ。

周りに居た者は誰もが「あ、コイツ馬鹿だな」と思ったが、
春の仕業は、それだけに留まらなかった。

周りに乗せられて調子に乗ったHG男は、近くに居合わせた女に
「セイセイセイセイ」とか言って腰を動かしつつ擦り寄ったのだ。










うっかり










ほどなくして次の駅に着いて、電車のドアが開いたとき、
ホームの向こうに、七分咲き程度の桜並木が見えた。










と、そのとき。















HG男が引きずり降ろされて、

駅員にどっか連れて行かれた。











やがて、何事も無かったかのように、電車は再び走り出した。

車内にはほんの少しだけ、七分咲きの桜の香りが漂っていた。



春は「うっかり」に気をつけたいものである。



(了)


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プレイボーイ

ずいぶん久しぶりに『週刊プレイボーイ』を購入した。

集英社発行の、常に時代の若者に支持される週刊誌である。

あえて言うならば、ナウなヤングにバカウケな雑誌である。


思えば、僕が『プレイボーイ』を生まれて初めて手にしたのは
小学生の高学年の頃だった。

衝撃的だった。

まず、雑誌名にドキドキさせられるではないか。



『プレイボーイ』



って、





なんだ、そのあからさまな雑誌名は。





これを読めば、僕もプレイボーイになれるのか。

それともプレイボーイの日常が描かれてるのか。

いずれにせよ、小粋な響きで『遊び人』ときたもんだ。

小学生だった僕は、誌面にはもの凄い世界が広がっているのだろうと
信じて疑わなかった。


手に取ってみたい。ページを捲ってみたい。


しかし。


いまでこそ、どのコンビニエンスストアの雑誌コーナーにも
堂々と陳列されているが、当時はコンビニなんてなかった。

向かう先は、近所にある商店街の小さな書店になるのだが、
田舎の本屋ほどやっかいな存在はない。

なにしろ陳列場所が微妙なのである。

そこでは『週刊プレイボーイ』は、



一般誌コーナーとエロ雑誌コーナーの境界線



に位置していた。

なかには、エロ雑誌コーナーのど真ん中に置いてある書店もあり、
それらの状況は『プレイボーイ』という雑誌名が巻き起こした
悲劇のひとつである。


それでも、過酷な条件が幼い僕の想像力を膨らませたことも事実だ。

周囲を見回し、フェイントを交えつつ、吸い寄せられるように、
不審な動き満載で境界線まで歩き、意を決してページを捲った。



チラッ



グラビアアイドルが、水着で笑っていた。


それは時間にすれば、おそらくほんの数秒間だったと思う。

ページを捲るだけで勇気を使い果たし、すぐに元に戻した。

当時の僕に、とてもじゃないが買う勇気なんて無かった。

スタイル抜群のお姉さんが浜辺で寝転んでいる写真を目にすると、
途端に周囲の視線が気になり、雑誌を置いてその場を立ち去った。

手に取るまでにもさんざんドキドキし、そしてわずか数秒間、
チラ見するだけで心臓がバクバクしていた。

いま思えば、背伸びして『週プレ』を手にした時の胸の高鳴りは、
青春時代の、はじまりの合図だった気がする。



そんな思い出の詰まった『週刊プレイボーイ』を久々に買ったのは、
理由がある。



なんと、本ブログが誌面に載っとるのである。
(2006.3.28号 NO.13)



「悶絶ヤミツキサイト」なるコーナーで紹介されとるのである。
(P80~81)




まあ厳密に言うと、この連載コーナーの中には、更にプチコーナーで
“今週のブログ王子”という1ページ弱の枠があり、ブログ王子として
今回取り上げられている芳晶せいじ氏のブックマークとして
紹介されているのだった。

それは結局、会社に例えるなら、



子会社のさらに下の、孫会社



的な存在であり、さほど騒ぎ立てる代物ではないかもしれない。

しかし、僕は今回の一件を、ものすごく喜んでいるのである。

あの『週プレ』で記事になっていることは、もちろん嬉しいが、
それより嬉しいのが、直接そこで紹介していただいた芳晶氏が
なんと、





カリスマホスト





なのである。

誌面を読めば解るが、彼は大阪No.1ホストクラブの代表であり、
昨年には東京へ進出を果たし、さらに4月には本も出すという。

まさに、夜の実業家路線まっしぐらな御方である。

そんな御方のブックマークとして、見事にチョイスされたのだ。


ということは、こういうことではないか。


多種多様なサービスが存在する中でも、究極的に女性を悦ばせる、
それがホストという職業であり、その業界のカリスマともなれば
ありとあらゆる女性を悦ばせられる存在に違いない。

そして、そのカリスマに、本ブログは面白がっていただいていて、
それを運営し、サービスを提供しているのが、この僕なのである。

つまり、僕は










極上のサービス提供者










言い換えれば、















世の中の女は、

ぜんぶ俺のもの
















ということである。

僕も『プレイボーイ』になるときが、ついにきたらしい。





(了)





[編集後記]++++++++++++++++++++++++


今回ご紹介いただいた芳晶せいじ氏のブログ
『芳晶せいじのうぶ毛のじかん』
は、頻繁に更新されており、珍しいペットがズラリと並んでいる。


有名ホストクラブの代表という超多忙な立場にありながら、
ブログを立ち上げて更新し続ける行動力。

画面をただ眺めているだけで微笑ましく思えてくる珍獣と
「動物好きだから飼ってるだけ」とサラリと言ってのける
カリスマホストの風格との奇妙なギャップ。

それらの要素のひとつひとつが女性を虜にするのだと思う。

そして、もうひとつ。

『週プレ』誌面での芳晶氏のコメントは、終始、イケイケの
関西ホスト風でどうしても軽い印象を受けてしまうのだが、
実は今回の掲載に際し、氏は僕のような者に対してわざわざ
「ブログを紹介させて頂いても宜しいでしょうか?」と
真摯な姿勢で事前承認の御連絡をしてこられたのである。

芳晶氏は当然のことと笑うだろうが、こういう礼儀や気配りも、
やはり「さすが」と思わざるを得ないのだった。

その芳晶氏が、本ブログをどう紹介しているのかというと。





「『そう、妄想も嘘。』は文章が面白いから
 
 ほぼ毎日チェックしてる。」






え?










「ほぼ毎日チェックしてる。」










なるほど、とても楽しみにしていただいて…















ごめんなさい。


これ、一週間ぶりの更新です。











やはり、僕には上質なサービス提供など無理なのかもしれない。






(再了)


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記念日

日本人は、とかく記念日を作りたがる人種である。

法で定められた祝祭日だったり、誕生日や結婚記念日といった
パーソナルな記念日は、ある程度までは理解できる。

しかし、なにかにつけて記念日を制定するのはいかがなものかと、
今日あらためて強く思った次第である。

というのも、これを書いている今日(3月9日)を調べてみると
とんでもないことになっているのだった。





『ありがとうの日』





いきなり、これである。

どこの誰が制定したのか知らないが、どうやら彼等の言い分は
こういうことらしい。

3月9日だから、サン(3)と、キュー(9)、つまり英語の
「Thank you」の語呂合せで「ありがとう」なのである。

なるほど確かに、サンとキューでサンキューなのね。

そう思いたいところだが、どうも釈然としない。


なぜか。


それは「Thank you」が、英語だからだ。


もともとの日本語読みの暦を、無理やり英語に落とし込んで、
さらにその英語を今度はわざわざ和訳して記念日に制定する。




なんて、まどろっこしいんだ。




「俺、センキューって言うから」

などと言い出す異端児には、通用しない記念日じゃないか。

まあ、そんな奴はほっとけばいいことだが、それにしてもやはり
僕は『ありがとうの日』には賛同しかねる。

だって、考えてもみてほしい。


じゃあ4月10日が『クソッタレの日』でも良いのか、という話だ。

4(シ)、10(ット)、「shit」の語呂合わせで「クソッタレ」

ってのは、どうなんだ。


どうなんだ、と問うたところで胸に去来するのは虚しさだけである。


そもそも、これなら『嫉妬の日』とかでもいいような気もしてくるし、
でもやっぱり『嫉妬の日』は、なんか嫌だよなあとか思ったりしつつ、
結局のところ、どうでもいいのである。


これらの“どうでもいい記念日”は、今日(3月9日)に限っても、
まだまだ『ありがとうの日』の他にあるようで、


『関門国道トンネル開通記念日』

『記念切手記念日』

『エスカレーター記念日』

『レコード針の日』

『クジラの日』



などなど、どうでもいいにも程があるのである。

しかも『クジラの日』に至っては、毎月9日が該当するらしい。


「毎月9日は『クジラの日』!」


って、これはもう近所のスーパーの折込チラシの世界だ。


「あ、今日は25日か。ようやく給料日だな」

と同様の感覚で、

「あ、今日は9日か。やっとクジラの日だな」

などと呟く者がいるなら、ぜひお目にかかりたいものである。



要するに、語呂合せの思いつく限り“どうでもいい記念日”も
増え続けることになるのだが、たったいま、はたと思いついた。

最初の例として挙げた今日、3月9日が「サンキュー」なら、
もしかして“あの日”も存在するのではないかと。


そして。


“あの日”を調べたところ、やはりそれが記念日とされていて、
僕は愕然としてしまった。










8月6日は、










『ハローの日』









って、










ふ ざ け る な










語呂合せにしても、記念日にしていい日と悪い日があるはずだ。

世界初の原爆が投下された日に、まさか「hello」は無いだろう。

さんざん言葉遊びの類が好きな僕だが、今日、生まれてはじめて
語呂合せで嫌な気分になったのだった。

生まれて初めての出来事を何かにつけて記念日扱いする者がいるが、
こういう日は記念でもなんでもない。

ただの、虚しい一日である。



(了)


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トリノ五輪と私

トリノ五輪が終わった。

さほど熱心に見ていたわけでもないので、大きな感慨はないが、
いくつかの競技については、リアルタイムで見ることができた。

というよりも、リアルタイムで見られるほど仕事がバタバタで、
フラフラの状態になりながら流れで見た、という表現が正しい。



深夜に帰宅する。

テレビで、ちょうどLIVE映像が流れている。

なんとなく見る。

どうやら、有力選手は後の方に登場するらしい。

せっかくだから待つ。

いい加減、眠いのだけど四年に一度のことだし。

頑張って起きてみる。



連日連夜に渡って、この繰り返しなのだった。

しかしながら、残念なことに、





いいところは、ほとんど見れてない





終盤の優勝争いだけ、まんまと見逃しとるのである。

いつも最後の最後で力尽きてしまって、気づいたときには
朝のニュースが流れている。

なんのためにオリンピック観戦してるのか解らなくなる。

毎朝、なんとも虚しい目覚めを繰り返していたのだった。



それでも、女子フィギュアスケートだけは僕も頑張った。

クタクタになりながらリアルタイムで見た甲斐があった。

しかしながら、これはどうかと思うこともあった。


採点を待つシーンである。


まず、あれはどうしてもああいうスタイルでないと駄目なのか。

大失敗してしまった選手にしてみれば、あれはイジメでしかない。

たとえば、サッカーでオウンゴールを献上してしまった選手が、
試合後にヒーローインタビューを受けるようなものである。

特にフィギュアスケートは若い選手が多い種目だけに、なんだか
引きつった笑顔や、無理やりぬいぐるみを持つ姿が痛々しかった。


そして、もう一点。

選手達は、どうしてあの採点待ちの際、だらんと足を広げるのか。

折角の綺麗な衣装なのに、座り方がだらしない選手が意外と多い。

言ってみれば、ミニスカートで股を広げているようなもんである。

君らの“美の表現”は氷上だけで良いのかと問いたい。

激しい演技を披露したばかりで、相当疲労しているので仕方ない、
と見る向きもあるかもしれないが、やはり見ていて思ったのは、





画面の向こうに手を振る暇があったら、

貴方の両足を、いますぐ揃えてほしい






ということだった。


その点、荒川静香選手などは膝を揃えてお行儀良く座っていた。

金メダル獲得には、採点を待つ姿勢も重要だったのではないか。



今回の五輪において、もうひとつ大きな脚光を浴びたといえば、
女子カーリングだった。

小野寺歩選手をはじめとする若き日本チームのフレッシュぶり、
強豪を相手に渡り合った健闘っぷりは大きな話題にもなったし、
何より、カーリングの面白さと奥深さを伺い知ることができた。


しかしながら、ひとつだけ言わせてほしい。


それは、毎回のエンド直後の光景、である。


最後のストーンが投げられる。

スキップの指示が飛ぶ。

スイーパーがブラシで滑りを良くする。

ハウスの中心へ、ストーンが近づいていく。

そして。

ゆっくりゆっくり速度を落としていくストーン。

スローモーションのように、ストーンが止まる。

そのエンドの両チームの得点が決まる。

その直後である。










無造作にストーン蹴飛ばしすぎ










ストーンを乱暴に扱うのである。可愛げのある女子なのに。

勝負が決まると、選手達は足でストーンをどかすのだった。

確かにアレが重いのは理解できる。20kgほどあるそうだ。

それにしても、である。

ついさっきまで貴女方は、それこそ腫れ物でも触るように、
慎重に慎重に、そのストーンを扱ってたんじゃないか。

なのに、勝負がついた途端に変わる、態度の落差はなんだ。

大事に丁寧に投げてもらい、進路は入念に掃いてもらえる。

試合中は、VIP待遇だったのに。

ストーンの立場からしてみれば、そりゃあもう、





天国から地獄





である。










ストーン、と。









ま、そんな感じで。

今回のトリノ五輪における僕の見方は、その程度のものであり、
選手の皆さんには失礼極まりない、レベルの低い視聴者だった。

そもそも競技場面にすら触れないのは、我ながらどうかと思う。



(了)


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