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2006年05月

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地震、雷、火事、親父

他の地域はどうか知らないが、昨夕の東京は雷が凄かった。

慌ててヘソを隠した方も、さぞかし多かったのではないか。

それがまったくの無駄な行為であることを認識してこそ、
大人の階段を昇った証拠だが、君はまだシンデレラである。

とまあ、雷に打たれたような酷い書き出しで申し訳ないが、
僕は雷の日に、決まってあるフレーズを思い出すのだった。



地震、雷、火事、親父



昔から伝わる、一般的に怖いとされるものを並べた言葉だ。

子供の頃から「『親父』ってのは違うよなあ」と思いつつも、
地震や雷や火事に遭遇するたびに「地震、雷、火事、親父」と
なんとなく語呂の良さから、ふっと口に出したりしていた。


そこで、さっき調べてみたが、いやはや昨今のネット社会は
本当に便利なものである。

少し検索しただけで、長年抱えていた謎があっさり解けた。


どうやら、あのフレーズで違和感があった最後の「親父」は、
本来は「山嵐(ヤマジ)」といったらしい。

「山嵐」というのは、いまでいう「台風」を指す言葉だそうで
確かに意味の並びの点では「地震、雷、火事、台風」のほうが、
災害繋がりとして巧く収まる感はある。


親父なんて、根本的にどうでもいい存在だったのである。

「もうパパなんてどっか行っちゃえばいいのに」である。


ただひとつ思うのは、「親父」が「台風」だったとすると、

地震(地)、雷(天)、火事(火)、台風(風)

となり、島国である日本で「水」関連の災害が入ってないのは
少々不思議な気もしてくるが、仮に「大雨」でも「津波」でも
語呂が悪くなるばかりなので、そう考えてみると先人達もまた、
音の響きや語感を考慮していたのかもしれない。


なんにしても、これらの災害はいずれも無いほうがいい。

しかし、残念なことに、実際にこれらの災害が起こった際、
それを喜ぶかのような不謹慎な輩がいるのも事実である。


その不謹慎な輩こそ、往々にして「オヤジ」なのだった。


オヤジ達は言う。


「おおっ、いまの近くに落ちたんじゃないか!?」


「ああっ、いまのは結構揺れたんじゃないか!?」


「こりゃ、対岸の火事なんて言ってられんぞ!!」






いちいち、反応しすぎなのである。


本来ならば、最も冷静であるべきはずの中年男性層が、
一番盛り上がってしまっていることが、実によくある。

さらにやっかいなことに、オヤジ達はそんなときに限って、
やたらとリーダーシップを取りたがる。

彼等は必ずテレビの速報を求めたがり、そしてこう言う。





「おい、NHKつけろ」





はい?





「NHKつけて、ひとまず落ち着け」




















お前が落ち着け。















そもそも「NHKつけろ」って、なんだ。


「テレビの電源を点けて、チャンネルをNHKに合わせろ」


と正確に言える冷静さを、まずは持って欲しいところである。



まあ、そうはいうものの、かくいう僕も、実際のところは
ネット速報を毎分毎に更新して確認するクチである。

言ってみれば、僕もオヤジ化が進行しているのかもしれない。

最近は、駄洒落を考えてるあいだが至福の時だったりするし。

しかも、自分では決して駄洒落じゃなく、小粋なジョークだと
勘違いしとるフシがあるし。


たとえば、


「地震、雷、火事、親父」


を、一文字変えただけで、


「自信家えなり、加地を野次」


になる、とか。


冷静に読み返すと、まさにオヤジの駄洒落そのものなのだが、
正直に告白すれば、僕はこれを考えついたとき、















ものすごく嬉しかった。










なんなら、ちょっとガッツポーズした。

もっというと、ワールドカップを観戦中のえなりかずきが
日本代表の加地選手を、こう罵るシーンが頭に浮かんだ。















「サイドを突破するくらい、

 こんとんじょのいこ!」
















嗚呼。


一年も前に流行った台詞を、いまさら思い浮かべるなんて。

僕も、ちょっと前まで爽やかな若者だったはずなのに。

自分では、まだまだナウなヤングだと思っていたのに。


オヤジになるってことは想像以上に、簡単じゃないか。



(了)

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括弧マジック

文章を書く際、誰もが必要に応じて使う記号、それが括弧だ。

代表的な存在といえば、文の中に他の文や語を引用する時に
その開始点と終了点に書かれる 「かぎ括弧」 である。

本ブログにおいても、当然のようにフル活用している。

だが今回、僕が注目したいのは (まる括弧) の存在だ。

主に、説明をその直後に挿入するのに使う(まる括弧)は、
メールが普及した現代において劇的な進化を遂げている。

メールの内容が送信者の意図した通りに相手に伝わる確率は
50%程度に過ぎない、というレポートをどこかで読んだが、
その状況を補完するすべとして(まる括弧)は発達した。


たとえば、 (笑) である。


「私はいま、笑っていますよ」という、そのままの表現だが、
文脈から書き手の心理状況を察することができない場合では、
これがあるとないとでは大きな違いである。


仮に「おまえ、馬鹿だなあ」というメールが届いたとしよう。


前後の文章にもよるが、この一文で言えることは、貴方は
まさに文字通り、相手に馬鹿にされているということである。

貴方が怒りに我を忘れてしまっても誰も文句はない。

ところが、これが次のようになると、話は変わってくる。


「おまえ、馬鹿だなあ(笑)」


これを読んだ貴方は、我を忘れるほど激怒するだろうか。

もちろん、答えはノーだろう。

この一文から読み取れるのは、相手が貴方という人間を
とても愛おしい存在として捉えている、という親近感だ。

貴方が携帯電話を手に思わずニンマリしちゃったとしても、
周囲に薄気味悪く思われてしまう程度で、誰も文句はない。

あるかないかで、文章に対する解釈がまるで異なってくる。

これはもはや、(まる括弧)マジックと言わざるを得ない。


と、もっともらしいことをだらだらと書いてみたわけだが、





本当は、どうでもいい。





わざわざこのような例を挙げるまでもなく、ネット社会では
(爆)というよく解らないものや、顔文字などという括弧を
上手く利用した新しい文化が生まれて久しい。

これらは人それぞれにポリシーや好き嫌いもあるだろうから、
好きなら大いに活用すればいいし、嫌いなら嫌いで相手との
コミュニケーションが円滑に進めば、無理に使う必要はない。



しかし、新聞や雑誌の記事は、そうもいかないのだった。



紙媒体は、限られた紙面で情報を的確に伝達する役目があり、
それゆえに(まる括弧)を効果的に活用してきた歴史がある。

象徴的なのは、記載する人物特徴を補足説明する手段として
使用される(まる括弧)である。


山田太郎さん(28)

山田花子さん(OL)

毎日読男さん(仮名)



といった具合だ。

年齢や職業を最小限の文字数で端的に表して、その対象を
的確に表記することで情報に厚みを持たせている。

まあ、最後の仮名だけは、もし(まる括弧)が無かったら、
名付け親の頭はどうかしてるんじゃないかと心配になる程
ふざけた名前である場合が多いが、これも、(まる括弧)が
存在しているからこそ安心してふざけていられるのだろう。

そういった意味においては、紙媒体では、書き手が(笑)
などと表現するはずもなく、先に述べたようなマジックは
存在しない、と考えるのが普通である。

じゃあ、新聞で(まる括弧)マジックは拝めないかというと、
これが、そうでもない。


ちゃんと、あるのである。





新聞ならではの、(まる括弧)マジックが。





たいていの新聞には、読者からの投稿記事欄が設けられている。

日常のひとこまを掲載するようなスペースだ。


そこに、たとえばこんな記事があるとすると、これはまさしく
(まる括弧)マジックである。



それでは、じっくり味わっていただきたい。



+++


「母からのメール」


今年に入って、休日出勤が続いたり、上司と揉めたりと、
会社で良いことがなくて、すっかり落ち込んでいた私。

友達からのショッピングや食事の誘いも、残業のせいで
断るしかなくて、周りはどんどん幸せになっていくのに
私には素敵な人はいっこうに現われず、ずっと仕事が恋人、
というありさまでした。

誕生日だったその日も残業で「なにやってんだろ、私」
と溜息が出るくらい、いつもと変わらない一日でした。

残業を終えて帰りの電車に乗って居眠りをしていると、
滅多に鳴ることのない携帯電話の着信音が。

母からの携帯メールでした。

さいきん、ようやく母が携帯電話を買ったらしいことは
聞いていましたが、機械音痴の母が携帯電話を持った
ということ自体が意外なことだったので、携帯メールを
受信したとき、私はとても驚きました。

そんな母が私に送ってくれた、たぶん人生初のメールは、
こう書かれていました。

『おたんじようびおめでとう』

変換もされず、ひらがなだけの、たった一行のメール。

誰からもお祝いされず、自分でも、今日も同じ一日だな
と思っていた夜に届いた、母からのメール。

幾つになっても、母は私を想ってくれていることを感じ、
母にとって、私はずっと子供のままなのだと思いました。

家事ですっかり荒れた手で不器用に携帯電話を操作する、
そんな母の姿が脳裏に浮かんで、満員電車にも関わらず
思わず涙がこぼれそうになりました。

母が送ってくれたメールは、今も大切に保存しています。


(68歳・男性、清掃員)



+++



(了)


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かっとなってしまった

世の中、あり得ないこと、理解を超えた出来事が、多すぎる。

新聞は、悲劇・惨劇の記事で埋め尽くされてしまっている。

残念なことに、秀樹がカンゲキする記事は皆無なのである。

むしろ、次から次へと殺人事件がギャランドゥ、なのである。


いったい、どこをどうすればそうなってしまうのか。

いったい、なにがどうなったらそうなっちゃうのか。

面と向かって問うてみたいが、おそらく無駄だろう。


「つい、かっとなってしまった」


殺人者は、決まってこう供述する。



なんだ、それは。



人を殺してしまうほどの『かっ』て、いったいどんな心情だ。

僕には、理解できない。

そもそも、そんな訳のわからない理由をメディアが大々的に
取り上げるからいけないのである。

犯罪を犯したらコレ!みたいな常套句になってしまっとる。

この文句が紙面に載れば載るほど、今後も法を犯す者が供述で
「じゃあ、俺も『かっとなってしまった』でお願いね」とかなんとか
言いやすい環境になるではないか。


そこで、僕は提唱したい。


いっそのこと「かっとなってしまった」以外の心情も、
記事として積極的に取り上げるべきだ、と。


たとえば、こんなのも記事にしてみたらどうなんだ。



ある男が、通っている大学の授業で課題を出されたとしよう。

難しい課題で、付け焼刃の知識ではとても解決できなそうだ。

日曜、男は大学生になって初めて近所の図書館に出掛けた。

受験生の頃、よくこの図書館で勉強していたことを思い出す。

図書館独特の静寂な環境が、程良い緊張感を醸し出していた。

去年までの自分と同じような、受験生がちらほらいるようだ。

「頑張れよ」

少しばかり先輩風を吹かせながら、声には出さず彼等に言う。

そこで、男は自分のなすべきことを思い出す。

「そうそう、俺も頑張らなきゃ」

さすがに大学に入ると、専門的な学問だけあって骨が折れる。

目的のコーナーに辿り着き、分厚い本の背表紙を次々なぞる。


そして。


これだと思った本に手をかけた瞬間、

同時に、別の誰かの手が触れた。


「あっ、ごめんなさいっ」


その手の主は、小さく驚いた声とともに素早く手を引っ込め、
男も、とっさに手を引っ込めてしまった。

お互い手を引っ込めたとき、思わず相手と目が合った。



同じクラスの女の子だった。



毎日のように顔を合わせてはいるが、まだ話したことはない。

教室で見かける彼女は、いつもかなり派手な格好をしていた。

授業中はかったるそうな顔で、常に携帯電話をいじっていた。

入学して一ヶ月だというのに、やる気ない素振り満載だった。

そんな彼女が、おそらく男と同じ目的で、図書館に来ていた。

しかも休日だからか、Tシャツにジーンズというラフな格好で、
おまけに、いつものキメキメのメイクではなく、すっぴんだ。


お互いを認識した瞬間の、「あっ」と声を出すタイミングも
同じだったので、二人の間には変な照れくさい空気が漂った。

ノーメイクを見られたくないのか、恥ずかしげな彼女の顔は、
素朴で純粋な女の子そのものだった。

その後も、お決まりのように「どうぞ」とお互いが譲り合い、
二人はなんとなく気まずそうに、ぎこちなく微笑みあった。

結局、彼女は本を棚から素早く取って、男に無造作に渡すと
そそくさと逃げるようにその場を去っていった。

男は、慌てて彼女の背中に向かって言った。


「ありがとう」


すると彼女は、俯き気味に振り向いて、小さな声で返答した。


「終わったら、次、貸してね」


男には、その時の彼女は少し顔を赤らめているように見えた。


男は悟った。


大学での彼女は、ただ無理に虚勢を張ってるだけなのだ、と。


男は感じた。


彼女の意外な一面を垣間見て、思わず心が動かされたことを。



そして男は後日、親しい友人に、当時の心情をこう供述した。




















「つい、ぽっとなってしまった」















殺伐とした現代においては、こんな記事を読んだほうが
ばかばかしくとも、よほど慰められるというものだ。

僕は、こんなふうに胸がキュンキュンなってしまうような
「つい、ぽっとなってしまった」記事をこそ、




















ていうか、長い。









無意味に長すぎて、皆さんから「つい、かっとなってしまった」
とか言われそうだが、要するに僕は、たった一日でもいいから
平和な記事だけで構成された新聞を、読んでみたいのである。

そして、読み終えたとき、こんな台詞を口にしたい。


「つい、ほっとしてしまった」


と。


(了)


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