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2006年12月

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御報告

前回、今年のブログ更新は終了と書いたのですが、どうしても
読者の皆さまに報告しなけらばならないことができましたので、
更新することにしました。



例の募金活動が無事、目標額に到達いたしました。



当初の目標金額5000万円に対して、12/21現在の募金額は
4000万円弱でしたが、不足金額分を他の難病支援団体や
個人からの支援で補えることになったとのことで、「救う会」
としての募金活動は今月いっぱいで終えることになりました。

白石は、諸々の準備が整い次第、渡米して肝臓移植のドナーが
現れるのを待つことになっております。

もちろん、移植手術を受けて社会復帰するのがゴールですので
白石本人の闘いはまだ続きますが、これから僕らができるのは、
彼を励まし、勇気づけ、温かく見守る、ことが中心になります。



思えば、僕がこの件に関する記事を書いたのは、8月のこと。
あーだこーだと悩んだ末に掲載した、非常に拙い記事でした。

にもかかわらず、驚くほど多くの読者の方々やブロガーさんが
即座に反応してくださり、多大なご協力を賜りました。

皆さんがいたからこそ、こうしてご報告できるのだと思います。

少なくとも、僕はそう思います。





ご協力いただいた皆さま、
ほんとうに、ほんとうに、ありがとうございました。

改めて、深く御礼申し上げます。





2006年12月22日

ウチダシンスケ





追伸)

目標達成に伴って、サイドメニューに貼っている関連記事の
リンクは今年いっぱいで削除させていただきたく思いますが、
書いてくださったひとつひとつの記事は、ずっと忘れません。

ご賛同くださったブロガーの皆さま、
本当に本当に、ありがとうございました。





追伸の私信)

ねじまき鳥さん、僕も今回の件で心から思いましたよ。

ブログの力って、伊達じゃないと。

読者として、そして貴ブログの力に助けられたひとりとして、
いつの日か再開されることを、心よりお待ちしています。


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立ち読み

本屋で立ち読みをしていたのだった。

文庫本の新刊が平積みされているコーナー。

結構な人数が集まっていて、誰もが目当ての本を探していた。

僕も、少し前から気になっていた本を手にとり吟味していた。


そこへ、いささか場違いな印象のコワモテの男がやってきた。

男は本には目もくれず、僕の隣にいた女に野太い声をかける。


「わりぃ、待たせたな」

「えっ、あ、いや、別に」


どうやら二人は待ち合わせで、女が時間を潰していたようだ。

男と不釣合いなくらい地味目の女だったが、恋仲なのだろう、
親しそうな雰囲気だった。


「なに、読んでたんだよ?」

「えーと、あ、ちょっと、なんとなく」


女は、知られたくなかったのか、聞かれて明らかに動揺した。

男は、女の手元を覗き込んで、タイトルを確認するやいなや。


「おまえ、それ、ありえねえだろ」


と嘲笑しながら、周りに聞こえるくらいの大声で突っ込んだ。

僕も含めて周りの人間が皆、一斉にチラっと女の本を見ると。










『官能小説用語表現辞典』










たしかに「そりゃねえだろ」的なタイトルではあるけれども。


「いいじゃーん、けっこう面白いよ、これ」


女は、かなり慌てながらも、必死に言い訳なんかしたりして。

すると、男は女から本を荒っぽく奪い、ぱらぱらとめくって。


「こんな本、立ち読みしてんなよ」

「なんでよー、いいじゃんよー」


女は言葉と裏腹に、本を奪い返して元の場所へ素早く戻した。

それでも、男はちょっと粘着質らしく。


「だって、おまえ、官能小説用語だよ?辞典だよ?」

「もー、しつこいなー」


このときにはもう、女は顔から火が出るほどに真っ赤だった。

僕は、横にいてだんだんいたたまれない気持ちになってきた。


「よく人前でこんなん読めるな。官能て」

「・・・もう、いいから」


女は、すっかりうつむき加減になり、反論の声も聞こえない。

それでも男はお構いなしで、冷やかすように責め立て続ける。


「なに、お前。もしかして、欲求不満?」

「・・・やめてよ」


あまりにしつこく絡むもんだから、どんどん腹が立ってきた。


「こんなん堂々と読む奴の気が知れねえな、おれは」

「・・・」


男の酷い言動に、僕はどうにもこうにも我慢ならなくなって。


「なに読んだって本人の勝手だろ!」


そうビシッと言い放ってやろうと、口を開きかけたそのとき。


わりとダンディな感じの初老の男性が、ふらっとやってきて、
二人の間に「ちょっと、ごめんよ」と言いながら割り込むと、
おもむろに、一冊の本を手に取ったのだった。





そう。










『官能小説用語表現辞典』を。










男と女はもちろん、その場が一瞬固まって、変な間ができた。

我に返った女が「ほらあ」と勝ち誇った顔になって男を見た。

男はバツが悪くなったみたいで、女の手を強引に引っ張ると、
その場をそそくさと立ち去ってしまった。


二人が去った後で、そのダンディな男性を見ると目が合った。

彼は、僕に向かって優しい微笑みを浮かべて、目配せをした。

僕は、なんだか照れて、礼を言う代わりに少し首をすくめた。

そして、手にしていた本を購入するために、レジへ向かった。





そう。










『官能小説用語表現辞典』を。



(了)




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「を」のチカラ

「を」には、なにか底知れぬチカラがあるような気がする。

前に書いたことがあるとおり、「を」は見ようによっては
「水溜りに足を踏み入れる人」にも見える究極の文字だが、
今回言及したいのは、その形ではなく、音についてである。

「を」は言うまでもなく、ワ行オ段の音であり、五十音の
大トリを担うが、「お」と混同されて扱われることが多い。

もちろん、助詞としての「を」は日本語を形成するうえで
無くてはならない必需品だが、こと名詞の表現においては
「を」を用いることは稀で大半が「お」で済まされている。

そんな背景があるためか、いまだに「を」を使う人名には
なにか得もいわれぬチカラを感じてしまうのである。

「お」でも通用するのにあえて「を」にするこだわり。

「o」ではなく、あくまで「wo」であることへの執着心。

耳馴染みが薄く、他の音に比べて特別な響きを持つだけに
「を」の人々は通常の人名より魅力的に思えるのだった。

例えば、この人。





相田みつを





絶大な人気を誇る詩人・書家だが、彼は「を」だからこそ、
ここまで受け入れられたのではないか。

彼の本名は「相田光男」であり、仮にこのままの表記だと
新橋のガード下にいるサラリーマンのように思えてくるし、
ましてや「相田みつお」だと、なおさらピンとこない。










平凡だもの










むしろ、なんか「せんだみつお」みたいだもの。

ナハッナハッだもの。

ちなみに「せんだみつお」は、僕と同じ誕生日だもの。

そんな情報、誰も知りたくないし、僕も少し嫌だもの。

そもそも若い人は「せんだみつお」知らないんだもの。

でも、せんだみつおもまだ芸能界を生きてるんだもの。

にんげんだもの。



あと、この人も「を」のチカラの恩恵を受けていると思う。





眞鍋かをり





彼女の場合は、苗字の「眞」の字もちょっと変わっている。

どうもマフラーがたなびく感じでこだわってるっぽいので、
そちらも併せて表記し直してみよう。





真鍋かおり





ほら、すごく普通に成り下がった。

眞鍋かをり」が本名らしいのだがそれで良かったと思う。

もし「真鍋かおり」だったら、たぶん可愛かったとしても、
変な事務所にスカウトされて単体でAVに出る程度だろう。

縁メガネとかかけさせられて、ぶっかけられてる気がする。

まあ、縁メガネは彼女がブームの発祥といえば発祥だけど。

どっちみち、「真鍋かおり」だったなら、自分のブログで
「おいら」なんて恥ずかしい呼称は使っていないはずだ。



とまあ、今回は代表的な二人の有名人の例を挙げてみたが、
いずれも、なんだか教養深く見えるというか、知的指数が
上がるというか、「を」の醸し出すチカラを得ている。

そんな気がしてならない。

もちろん、この「を」の持つチカラは、さまざまな人名の
「お」を「を」に置き換えても実感することは可能だ。

試しに、何人か変えてみよう。










ををしを平八郎


凄く抵抗しまくって頑張ってる様子がいまにも目に浮かぶ。










長嶋しげを / をう貞治


双方ともにその偉大さは変わらず、長嶋さんは知的になり、
王さんは親しみやすさがぐっと増して茶目っ気たっぷりに。










磯野カツヲ


ただの小僧なのに個性派俳優みたいに思えるから不思議だ。










等々、挙げるときりがないほど「を」の威力は凄まじいが、
ひとつだけ例外がある。



「磯野カツオ」の義理の兄



彼の場合は趣きが異なる。

「カツオ」を「カツヲ」と書いても、彼の名を書くことは、
なんだかはばかられる。というか、どうにも筆が進まない。



なにしろ「フグ田マスオ」である。



「を」に変換したところで、威厳や格好良さは引き出せず、
かと言って洒落っ気も茶目っ気も感じさせることはない。

あえて言うならば、ひとしきりすっきりした後で、ふいに
独りよがりな虚しさが自身を襲う、そんな印象である。

疑問に思うなら、貴方も書いてみればいい。


むしろ、かいてみてほしい


それは「オナニー」を「ヲナニー」と呼ぶのと同義である。



(了)




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