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2007年03月

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すべての出来事は日常である

通勤途中、駅を出てすぐの交差点で信号を待っていた。
同じく行先を阻まれた人々が、交差点の四隅に群がる。
信号が青に変わって、人波が四方から一斉に動きだす。
そんないつもと変わらぬ光景の中、ある異変が起きた。

人波を掻き分け、前方から何者かが突進してきたのだ。

必死の形相をした中年の女が、真正面から迫ってくる。
事態を全く把握できないままに、僕は思わず身構えた。
すると女は僕の真横をすり抜け、駅前の交番へ入った。

朝っぱらから、血相を変えて交番に駆け込んでいく女。

それは、なんだか物騒な事件の前触れのように思えた。
清々しい朝には似つかわしくない、不穏な空気が漂う。
数名の通行人とともに、僕は足を止めて様子を伺った。

女は息も整えず、入口付近にいた警察官にすがりつく。
一枚の紙切れを広げて指差しながら何やら訴えている。
僕は再び赤になった信号を待つふりをして話を聞いた。

「す、す、すいませんっ!こ、ここに、ここに・・・」

おそらく紙切れは地図だろう、道に迷っているらしい。
なんだ、と思ったが尋常でない慌てぶりが気になった。
応対した警察官は、女と対照的に冷静そのものだった。

「ええと、なに?ここ?おたく、ここに行きたいの?」

女は顔から変な汁が出んばかりの勢いで首を縦に振る。

「そ、そ、そうですっ!私、い、い、急いでまして!」

女は腕時計に目をやり、せわしなく返答を待っている。
警察官は構わず、じっと紙切れを眺めたまま動かない。
沈黙が耐えられないのか、女はひとりで喋りはじめた。

「いま、交差点を右に行ってみたら見つからなくて…
 見間違えたかもと思って一度戻ってきたんですが…
 でもこれを見る限り、確かにここを右のはずなん…」

それまでの経緯を説明する女を、警察官が手で制した。
女の動作が一時停止ボタンを押されたように固まった。
警察官は紙切れをゆっくり元通りに畳むと女に渡した。
緊張の面持ちで大きく息を呑み、返答を待ち侘びる女。
半ば呆れ、しかしはっきりした口調で警察官は告げた。










「この地図、随分古いね。あそこは昨年潰れましたよ」










「えっ!?」










ぐしゃ。










初めて生で“絶句してその場に崩れ落ちる人”を見た。










一部始終を見守っていた人々は皆、再び歩きはじめた。
何事も無かったかのように、いつもと変わらぬように。
そこには毎日繰り返される東京の風景が広がっていた。
いつもと同じ平日の朝の時間が、緩やかに過ぎていた。
その場に崩れる人間の姿ですら日常のひとコマだった。

このとき僕は改めて当たり前の事実を思い知らされた。


『誰かの運命の一日は他の誰かの平凡な一日である』


また、この事実は逆に考えると、こう言い換えられる。


『何気ない日常の中には常に非日常が存在している』


いったい彼女はなぜ、急いでそこへ向かっていたのか。
すでに存在しない場所で、彼女は何をしたかったのか。

答えなど出るはずもないのに、僕はまだ見続けていた。
あっという間に誰にも注目されなくなった彼女の姿を。
警察官に抱え起こされ、力なく頭を下げる彼女の姿を。
交番を立ち去り、放心状態のまま歩き出す彼女の姿を。
彼女の姿が雑踏に溶け込むまで、ただずっと見ていた。

彼女の存在を、僕は最後まで見届けなければならない。

自分でもよく解らないが、それが使命だと感じたのだ。



っぽい感じで遅刻の言い訳をしたら、すげー怒られた。



(了)




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ジャニーズ・リターンズ

今も昔も書いている文章の大半は恥ずかしいものばかりだが、昨秋の暴走気味にブログを更新していた頃に書いたものは特に酷かったので、まとめて消去してしまっていた。

だが、今回記事にしようと思った内容が、当時書いた記事にリンクする内容なので、ここであえて再録し、その上で文章を付け足したいと思う。



+++



『老いとジャニーズ』



最近、確実に「老い」を感じるひとつの事例として「ジャニーズのメンバーを覚えられなくなっとる」ということがあります。

「たのきん」以来、顔と名前は、ほぼ完璧だったですよ。地方の田舎に住んでる子供なりに芸能通だったと思うし。そんな僕が、最近からっきしなんです。ようわからんです。

告白しますと、僕の中での最後のジャニーズは『嵐』です。それ以降のグループは顔と名前がぜんぜん一致しないです。一致しないどころか、正確な人数さえもよく解ってません。うちわやブロマイドの存在意義はハナから解りませんけど。

要するに、若い世代の常識が少しずつ欠落してるってことは、ジェネレーションギャップを生んでってるわけで。それがひいては「老い」に繋がってるっていう、哀愁デイズ。


まあ、それでも、さすがにね。そんな僕も知ってましたよ。

『KAT-TUN』の赤西くん。

休業して留学するとかで、このところ話題になってますけども僕が気になるのは残された5人の活動名です。

『KAT-TUN』て、メンバーの頭文字を並べたものがグループ名じゃないですか。(そういうとこは押さえてる)

念のために、書き出しますと。

・亀梨和也(Kamenashi)
・赤西仁(Akanishi)
・田口淳之介(Taguchi)
・田中聖(Tanaka)
・上田竜也(Ueda)
・中丸雄一(Nakamaru)

このうちの「A」が、しばらくの間はいなくなるですよ。

そもそも『KAT-TUN』で「カトゥーン」と読ませる、ってのも考えてみりゃ、かなり無茶だと思うんだけど。

この先いったい『KT-TUN』をどう読めばいいんですかと。もとから無茶読みだったのに、よりによって「A」。貴重な母音の「A」が無くなったらもうお手上げ。そして、僕は途方に暮れるしかないわけです。

なのでね、考えました。彼等のために。
旧『KAT-TUN』の未来のために。

そしたら、いい名前が見つかりました。

『KAT-TUN』の、赤西くん不在の間のグループ名。















『NTT-UK』

(日本電信電話株式会社 イギリス支店)















結局、赤西くん以外のメンバーも海外勤務になりましたね。



(2006/10/15の記事)



+++



いやはや、軽薄な文体が恥ずかしさを増長させるが、それ以上に時の流れの早さを感じずにはいられない。なにしろ、いまでは彼の話題をする者は誰ひとりいないのだ。赤西くん、元気ですか?


で、最近思うのが『Kinki Kids』の凄さだ。

二人ともいい歳して「キッズ」のままだとかそういう話ではない。そんなことを言うと『少年隊』はどうなんだという話だし、もっと言うと『シティボーイズ』だって黙っちゃいない。

僕が凄いと思ったのは『Kinki Kids』の片割れのもう一つの名前についてである。


『ENDLICHERI☆ENDLICHERI』


この堂本剛のソロ活動名義、最近また露出が増えているようでよく聞くが、呼ぶのも読むのも耳にするのも、ほんとうに面倒くさい。エンドリケリー・エンドリケリーて。

思うに、テレビ業界の人々もうんざりしているのではないか。

これまではスタジオなんかでも「剛さん、入られまーす」と言えば済んだのに、ソロ活動のときに限っていちいち「エンドリケリー・エンドリケリーさん、入られまーす」と舌を噛みそうな名前で呼ばなくてはならないのである。

たぶん、本人以外の誰もが思っているはずだ。

「その名前で呼ぶの、正直しんどい」と。



(了)




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極楽落語

先日の北海道旅行は当然ながら飛行機を利用したのだが、我が家は諸事情により空の便は日本航空を使うのが決まりになっている。

なので全日空がどうかは知らないけれど、JAL便には各シートに装備されているオーディオに落語のチャンネルがある。

機内誌を読むと、今月のオンエアは馴染みのあるお二人だった。

・三遊亭楽太郎『薮入り』
・桂ざこば『崇徳院』

楽太郎といえば『笑点』の紫の人だし、ざこばといえば『らくごのご』での鶴瓶とのやりとりを覚えてるでぇ、だ。それに、もともとクドカンのドラマ『タイガー&ドラゴン』以来、落語は気になっていたので、テレビで良く知るお二人なら落語初心者の僕でも楽しめるのではと思い、ふと聴いてみたくなった。

へぼ医者が触診で使うような「アナログってレベルじゃねえぞ」的なイヤホンを装着したところ、



これがもう、ものすごく面白かった。



なんだかとっても、落語の世界を知りたいと思った。
名人と呼ばれる落語家達の噺を聴いてみたくなった。
「趣味は落語です」と公言したくなるほど惹かれた。
新たな娯楽に出会った喜びを感じて、嬉しくなった。










途中、寝てたけど。










2作品のうち、ざこばの『崇徳院』のサゲ(オチ)を、ことごとく聴き逃してしまったのだ。

往路と復路で各2回ずつ、都合4度も聴くチャンスがあったにも関わらず、『崇徳院』のオーラス部分に差し掛かったあたりでいつも猛烈な睡魔に襲われたのである。





「新しい娯楽に出会った喜び」とか偉そうなこと言ってごめん。





ただ“落語LOVE”の気持ちが芽生えたのは本当で、『薮入り』の全編と『崇徳院』のラスト直前までを繰り返し聴いて、すっかり魅力にとりつかれてしまった。

『薮入り』は4度ともオチまで聴いたのに、聴く度に話に引き込まれ、筋を知っていても面白い、という落語の醍醐味を実感した。

それだけに、聴き逃した『崇徳院』のオチが気になって仕方ない。直前までの面白い物語が、ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる、僕の頭の中を駆け巡っていた。


なので、自宅に着くなりインターネットで調べた。

そして驚いた。


落語にはひとつの噺でオチが異なるケースがあるらしいのだ。

しかも、噺家によってはオチそのものをつけずに終わるパターンもあるという。問題の『崇徳院』も複数のオチが存在するらしい。

いやはや、なんとも奥が深い世界じゃないか。

さらに調べると『崇徳院』はざこば師匠の得意ネタのひとつらしくざこば版のそれはオチをつけずあっさり終わるパターンらしい。

ということは、聴き逃した噺もたぶん、オチの無いシンプルなものだったのだろう。

僕はつくづくそれで良かったと思う。

なにしろ、飛行機の中で聴いた噺だ。


おちないのが一番である。



(了)




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人気ブロガーに会ってきました。

※先に言っておくが今回はいわゆる「ブロガーっぽい」内容を含んでいるので通常とは趣きが多少異なることをご理解いただきたい。


+++


先週末、人気学生ブロガーのさとる氏にお会いした。

土日の二日間で千歳~小樽~札幌~旭川を観光するという、新作プロモーションで来日したハリウッドスター並みのスケジュールの中で「純と蛍には前に会ったから今回は彼だな」という、ごく自然な成り行きだったわけだ。

だが、実際にお会いするにあたって問題が生じた。

僕はネットで知り合った方とどんな態度で接するべきか、まったく解っていなかったし、そもそもが人見知りする性質なのだ。

「ちょっぴり恥ずかしがり屋さん」な三十路男であり、街でモジモジしてるおっさんを見かけたら、トイレを我慢してる者以外は全部僕だと思ってもらってほぼ間違いない。そんなちっぽけな男だ。
(ちなみに彼は、僕の外見に関してはこう評した

なので、心配ごとも多々あったわけだが、なかでも言葉の問題にはほとほと困った。

どうやら北海道の人はアイヌ語を話すらしいという情報を入手した僕は慌ててNOVAに短期留学したが、ホッカイディッシュアイヌとエゾッシュアイヌの違いに苦労させられ、勉強すればするほどに高度な言語を操る人達だと知って、なまら驚いた。

イントネーションにも注意が必要だった。「椅子」と言う際に通常は「椅子」と平坦に発音するのに北海道の方々は「椅子」と抑揚をつけて発音すると知ってネイティブな発音の習得に躍起になった。
などと文章で書いても解らないだろうから、下記の音声ファイルでちょっと確認してほしい。










「椅子」の発音の違い














え? クリックできない?



















そんな高度な芸当などできるものか。















で。

言葉の問題で本当に困ったのは、名前の呼び方だ。

僕が32歳なのに対し、さとる氏は24歳。年齢差は実に8歳だ。年の差なんて、と開き直れないほどの差。僕はもうヤングチームには入れないのである。アダルトビデオ以外で「アダルト」という言葉を耳にしたのはあの番組が初めてだが、こんなこと書いている時点で僕はアダルトチームの一員だし、若者にはさっぱり解るまい。

日頃から自分の呼び名ですら「僕」「俺」「私」の三種類をごっちゃに使って明確な基準を持たない僕は、相手に対してどんな呼称を付けて接するべきか、いつも悩むきらいがある。

「さん」「くん」「ちゃん」「さま」などを状況に応じて選択する中で、最も親近感が深まるのは実は「呼び捨て」だったりするが、残念ながら僕は呼び捨てにはしない。というか、できないのだ。

ちょっぴり恥ずかしがり屋さんだから。

女性を下の名前で呼び捨てにすると自然と赤面してしまうのには、ほんと自分でも驚く。頑張っても「下の名前」+「ちゃん」が限界で、大抵の場合は「苗字」+「さん」どまり。

これは男性の場合もそうで、同年代の男同士ならすぐにでも苗字を呼び捨てで呼び合うようになるが、僕は長い間「くん」付けで呼ぶことが多い。

別に相手と距離を置きたいわけでもないし、変に恐れているわけでもないが、いつしかそうなってしまった。自分でも嫌だけれど。


結局のところ、さとる氏に対しては終始「さとるさん」で通したのだが、そこに至る過程では脳が沸騰するほどに熟考を重ねた。

前述した体質からして、初対面で「さとる」と呼び捨てにしてしまうなんてことは、まずありえない。

8歳年上だからといって「さとるくん」と呼ぶのも、なんだか鼻につく気がするのでちょっと避けたい。

思い切って「さとちゃん」ではどうかとも思ったが、さすがに砕け過ぎて引かれてしまうだけだろう。

フレンドリーさを強調した「さとさと」などは意外と受ける可能性もあったが、博打に近いので却下。

親しみやすさなら「さてぃ」というのも近所のスーパーっぽくて負けていないがやはり砕け過ぎだ。ていうか、木っ端微塵。

じゃあ、いっそ北海道っぽいアレンジでいこうと思ったのだった。















「サーササササ」















いわずと知れた「ルールルルル」を“さとるヴァージョン”にしてみたわけだが、結局はこれも採用しなかった。

雪の中で姿を見かけたからといって、こんなふうに呼んでも絶対に振り向かないだろうし、そもそも彼はキツネではないのである。



(了)




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鳴き声という名の嘆き

僕らは、往々にして動物の鳴き声を統一する傾向にある。

犬は「ワン」、猫は「ニャー」、豚は「ブー」、という具合だ。

これらはすべて擬声語(擬態語)と呼ばれる表現手段としてすでに確立しているもので、実際の鳴き声とはかけ離れていても誰にでも通用することになっている。

もちろん、言語や文化の違いによって表現方法は異なるので、たとえばアメリカでは犬の鳴き声は「バウワウ」と呼ばれることはご存知のとおりだが、それにしても一定の文化圏ごとに動物の鳴き声は統一されていることには違いない。

つまり、我々人間は生まれながらにして『実際の鳴き声』とは別に『共通認識としての鳴き声』を植えつけられ、物心つく頃にはそれが当然のこととして染み付いてしまっているのである。

だがその結果、大変なことになってしまった。





「犬だワン」










なんなんだ、これは。










おかしい。ちゃんちゃらおかしな話だが、これもまた日本人の共通認識の中にある犬の姿だ。

もちろん、犬に限ったことではなく「猫だニャー」もおかしいし、「豚だブー」も何かが決定的におかしいのだが、残念ながらこれらはすべて事実だ。日本人は人間以外の動物を擬人化するとき、つい『共通認識としての鳴き声』を語尾につける癖がついてしまった。

そして、これが鼠になると悲劇の度合いは更に増す。





「鼠でチュー」





先に挙げた動物と同じだと思うかもしれないが、よく見てほしい。





「鼠“でチュー”










そう、










駄洒落なのだ。










これまでは「犬だ」に「ワン」、「猫だ」に「ニャー」とただ単に擬音語を付けただけだったのに、鼠の場合はわざわざ「鼠だ」ではなく「鼠です」を採用し、そこに鳴き声を引っ掛けるという愚行。

それでも鼠も鳴き声に引っ掛けてあるぶんだけ、まだましだ。

本当に可哀想なのは、この動物である。




















「象だゾウ」




















もはや、鳴き声ですらないのだ。

どう考えても駄洒落オンリーだ。

きっと、このフレーズを考案した者は象の気持ちなんてお構いなしだったのだろう。象がこれまでどんな想いで鼻を伸ばしてきたか、どんな想いで耳を大きくしてきたか、どんな想いで必死に今日まで生き延びてきたか、そんなことは考えもしなかったのだろう。

思いついた奴は、下衆でゲス。



(了)




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サザエさんの病

「朝慌てて支度をして、途中で休日だったことに気づいた」

そんな経験は、きっと誰にでもあるだろう。僕なんて、会社に着いてはじめて気づいたことだってある。

まあ、自慢気味に告白しても仕方ないのだが、このとき僕がパッと思い浮かべたのは、フグ田サザエ(24)の顔だった。

確かにこの過ちは、彼女が繰り広げる“お魚くわえたドラ猫を追っかけて裸足で駆けて行く”“買い物しようと街まで出かけたが財布を忘れる”といった失態の数々と同じカテゴリに属するもので、僕はこの手の症状を『サザエさん病』と名付けたい。

一方、すでに世間でよく知られる『サザエさん』に関する病として『サザエさん症候群』がある。日曜の夕方に『サザエさん』を見た後で翌日からまた学校や仕事に行かなければならない現実に直面して憂鬱になって体調不良や倦怠感を訴える、という症状の俗称だ。

僕は、この二つの病の関連性を非常に興味深く思う。

つまり、我々日本人は“平日のつもりでいたら実は休日だったり”“休日が終わってしまうと思うと憂鬱になったり”しているということで、平日と休日の境目では常に『サザエさん』を意識しているのである。


サザエ恐るべし、だ。


ちなみに磯野家においては、長女・サザエが「うっかり者」、長男・カツオが「ちゃっかり者」、次女・ワカメが「しっかり者」、と綺麗に三分されることでも知られている。

もちろん、ここで言うワカメの「しっかり者」は、精神的に成熟してしっかりしているわけではなく「常にパンツがしっかり見えてしまっている者」を意味しているのだが、聞くところによると、最近では、そのワカメのハミパンにさえ“エロス”を感じる者がいるというのだから、今の日本はどうかしている。というか、相当に病んでいる。

いくら“萌え”が市民権を得たとはいえ、いささか危険な性志向だと思う。軒並み平均的で当たり障りのない保健の授業しか行わない学校も問題だが、学校だけの責任にしたらおかしなことになる。むしろ個人の資質の問題で、ネットなどのモラル低下の流れに乗り、助平な衝動に駆られたときに、若めの女子を性の対象とするのを躊躇わない神経が異常なのである。「穴、GO!」などと本能だけで生きる鬼畜には、社会的制裁という名の喝を入れて徹底的に対抗すべきだ。いっそタマを握り潰して不燃ゴミに出し、一生マスをかけない体にすればいい。

なんだか書いているうちに、だんだん憤りを感じてしまった。
それでもまだ怒りが収まらないので、もう一度同じ文を書く。















イクラ“萌え”が市民権を得たとはいえ、イササカ危険な性志向だと思う。軒ナミヘイ均的で当たり障りのない保健の授業しか行わない学校も問題だが、学校だけの責任にしタラオかしなことになる。むしろ個人の資質の問題でネットなどのモラル低下の流れにノリ、スケ平な衝動に駆られたときに、ワカメの女子を性の対象とするのを躊躇わない神経が異常なのである。「アナ、ゴー!」などと本能だけで生きる鬼畜には、社会的制裁という名のカツオ入れて徹底的にタイコうすべきだ。いっそタマを握り潰してフネんゴミに出し、一生マスオかけない体にすればいい。















なんだか、低レベルな「頭の体操」みたいで本当に申し訳ないが、僕はつくづく、この漫画は『サザエさん』で良かったと思う。

もしこれが『アワビさん』だったりしたら、内容が多少エロくてもそれはそれで仕方ない気がするからだ。

『マンゴーさん』など、もってのほかである。



(了)




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