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2008年09月04日

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韻を踏む

このブログを読んでる方は百も承知だろうが、僕は言葉遊びが大好きだ。
特に「韻を踏む」ことに関しては、もはや大好物と言わざるを得ない。

たとえば、なにげなく歌を聴いているときでも歌詞がきれいに韻を踏んでたりすると、思わずにやりとなる。
RIP SLYMEみたいなヒップホップミュージックは当然として、ほかにも民生やミスチルなんかはキャッチーなメロディーに乗せて韻を踏むもんだから、聞いてるこっちはしぜんと地団駄を踏むことになる。

彼らの場合、韻を踏む=かっこいい、という図式が成り立つ。

一方で「韻を踏む」ことは“笑いを生む”ことでもある。
人が言い間違えたり聞き間違える場合はたいてい知らず知らずのうちに韻を踏んでいるものだし、それが元の言葉とかけ離れた意味になればなるほど効果は増す。

僕の場合、韻を踏む=手っ取り早く笑いを取る手段、と考えている。

ふだんの生活で誰かと会話しているときもよく聞き間違えたふりをするし、そもそもこのブログはその趣味?が高じてはじめたようなものだから至るところでウザいくらいに韻を踏んでいる。
ましてや前回の記事などはまさに韻を踏むことだけに特化して書いているわけで、書きながら「あれも、これも」と自分で語呂の良いフレーズを見つけながら面白がっているのだけれど、どうも周囲の反応を見るかぎり、その面白がっている感覚が空回りしている印象が拭えない。

僕の周りにいる人たちは韻を踏むことに対して何の感慨も持っていないのか、なんだかピンと来てないようで、曰く「いっぱい考えたねえ」「これだけ考えるの大変だったでしょう」「多すぎてなんか読むの疲れた」などなど、どちらかというと“笑い”ではなく“労い”を得てしまった。
笑わせるために体を張って熱湯に飛び込んだにも関わらずヤケドの心配をされてしまった感じ。難しいものである。

ほかにも「なんかジョイマンみたい」という感想もあった。
正直、がーん!と思わずにいられない感想ではあるけれど本質的な部分ではたしかに同じ構造であることは間違いなく、僕も奇妙な踊りをしながらメロディに乗せて「岡さんと一緒♪浜省ハラショー♪」とか適当に歌えば『中笑い』くらいは取れそうな気はする。

そして、ある人からはこんなことも言われた。

「アダルトビデオのタイトルつけるの上手そうだよね」

褒められてるのかそうでないのか非常に微妙なラインだ。
でもなぜだろう、ちょっと嬉しい。



(了)




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