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2009年02月

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皆さんは自分のなかに「峠」をお持ちだろうか。

残念ながら僕は「ここが俺の峠だ!」と胸を張って言えるような峠を持っていない。病院の待合室や慌しい会社内ではしばしば「峠を越えた」という台詞が登場するが、僕はそんな感覚を知りえぬまま今日まで生きてきた。とか書くとすごく大げさなことを言ってる気もするが、とにかく「峠を越えた、越えない」の話題の前で僕はひたすらに無力である。

一般的に峠というと「山道を登りつめてそこから下りになる場所。山脈越えの道が通る最も標高が高い地点(Wikipedia)」であり、いわゆる“てっぺん”ということになる。その“てっぺん”を通過すると晴れて「峠を越えた」状態となるわけだが、これは各個人が勝手に思い浮かべるイメージとしての峠であって、実在する峠でないことはあきらかだ。

なにしろ「日本の峠一覧」をざっと眺めただけでも相当な数が存在するわけで、それなのに限定的な話をされても困るのだ。たとえば、病院の手術室から出てきた医師が開口一番、家族に向かって「お父様の容態は、なんとか野麦峠を越えました」とか言いだしたら、告げられた家族は唖然とするほかない。手術結果のことで頭がいっぱいだったはずでも、思わず呆気に取られて「ああ、」と応えるのが精一杯だろう。

結局のところ、ある者にとって険しい峠も別のある者にとっては緩やかな峠かもしれず、そう考えると峠とはひどくぞんざいな存在に思えてならない。だいたい「峠」という漢字からしてかなり適当だ。なにしろ「やまへん」に「上」「下」と書いて「とうげ」である。よくこんなんで正式な漢字として認められたものだ。そんなのがアリだったら「さんずい」に「左」「右」と書いて「もーぜ」って漢字があってもいいじゃないか。だめか。さらに言うなら読み方もおかしい。なんたって「とうげ」である。試しに声に出して読んでみるといい。

「とうげ」

「道化(どうけ)」と瓜二つだ。「象牙(ぞうげ)」にも似ているし「蜥蜴(とかげ)」を連想しなくもない。なんとなく「ゾルゲ」もうっすら思い起こさせるし、思い切って間違えれば「エロゲー」にも通じるものがある。それはない。

まあ、なんだかんだ言ったところで「峠」においてメインで語られることは「越えた、越えない」についてである。むしろ言及すべきは常にその一点に絞られているといっても過言ではなく、そういった意味では『あなたと越えたいランキング』第1位に輝く峠を外すわけにはいかない。



天城(あまぎ)



なにしろ、ここ最近は毎年のように石川さゆりが紅白で絶叫してるのだ。そりゃもう、鬼気迫る表情で。もういい加減「さっさと越えちゃえよ」と思う一方で、そんな顔で訴えられたらテレビを見てるうちに真に受ける者が現れるのでは?とハラハラしてしまう。

「え?俺すか?越えたいって・・・俺とすか?」

迫力に圧倒されて思わずテレビに向かってそう口走っちゃう奴が出てきてもおかしくない。それほどの勢いが大晦日の石川さゆりには間違いなく、ある。眼は充血し、こめかみには青筋が立ち、いまにも画面から出てきて食ってかからんばかりだ。なので僕は、石川貞子の『天城越え』を聴くたびに「峠を越える」ということがいかに過酷で大変かを思い知らされるのだ。



(了)



追記)
なんで2月の終わりにこんな記事を書いてるのか、自分でもよくわからない。




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ちんちくりん

新しいズボンを履いてみた。
正月のバーゲンのときに買ったやつ。
ポケットに手を突っ込むと、輪っか状の布切れが二つ、出てきた。
ああ、あれだ。
ズボンの裾を直したときの切れ端。

「こんだけ切って、お前はやっとズボンを履く資格を得た」

そう言われてるような気がした。
これって、どうなの?
君らも切ってんの?それともほとんど切らずに済んでんの?
俺、結構ざっくりやられちゃってるですけど。
んで、いつも試着室で言われる。

「ここ針ついてるんで脱ぐとき気をつけてください」

わかってるよ、もう。
毎回毎回うるせえんだよ、こんちくしょうめ。
そんなわかりきった忠告、俺からしたらあれだ。
トイレでうんこしてるときに、

「尻にうんこ付いてるんで、出るとき拭いてください」

ってわざわざ言われてるようなもんだよ?
なめてんのか?

そこでひとつ、提案なんだけど。

ズボン、最初から「俺サイズ」にしといてもらえませんかね?

いや、別に足が短いってわけじゃないよ?たぶん、標準。
まあ、もしかしたら標準より若干、ほんのちーと、足りないレヴェル。
おそらく平均サイズで充分渡り合えるだけの戦力は整ってると思う。
だからメーカーさんには最大公約数的な基準で考えてほしいな、と。
平均的な足の長さでデザインしといたほうが合理的じゃねえの、と。

だって、そしたら大半は何も処理せずにズボンを買えるわけです。
後日、受け取るためだけにわざわざ店に行かなくて済むわけです。
スマートなショッピングができて、精神衛生上よろしいわけです。
無駄な生地が出なくて、ちょっとしたエコにもなっちゃうわけです。

え?モデル?
ああ、脇の下から足が生えてるような奴らは、そのままでいいよ。
あいつらはね、ちんちくりんのままで履かせとけばいいと思う。
それはそれで「俺、足長え!」の証明にもなるわけだし。
スタイル良いから、ちんちくりんでもどうせ履きこなすんだろうし。

あ。
でも、待てよ。

そうやって足長い奴が、ちんちくりんズボンを堂々と履いてたら?
ファッション誌でソックス全開の足元が表紙を飾ったりしてたら?

そっちのスタイルが・・・ト・・・レン・・・ド・・・に・・・!?

いや、むしろその可能性が大だろう。
永井はマサルでも可能性はダイだ。
そうなったら、きっとすぐに沸いて出てくるに違いない。

せっかくジャストサイズなのに、わざわざ裾上げする奴が。

ああ、もう!
意味ないよ、それじゃあよおお。

まったく意味がなくなるが、一度狂った歯車は元には戻せない。
ファッションは、時にあらぬ方向へと突き進んでいくもんである。

「裾が短ければ短いほど、おしゃれ」

いずれ勝俣州和がもてはやされる時代が到来するはずだ。
B'zの稲葉にいたっては「ネ申」扱いされるかもしれない。

「バカな」と笑う方がいるかもしれないが、歴史は雄弁に物語っている。
女子高生のスカートしかり、不良の学生服しかり。


ということで、今回の「俺サイズ」案は潔く却下したいと思う。

これまでどおり、裾上げ作業を甘んじて受けようじゃないか。
そして、ズボンを受け取るためだけに再び店へお伺いしよう。
で、ズボンを受け取るとき、言われるのだ。

「念のため、一度試着されてみますか?」

念のため?って、何のため?
いや、もちろん理由はわかってるけどさ。
毎回毎回うるせえんだよ、こんちくしょうめ。
そんなわかりきった確認、俺からしたらあれだ。

「ウォシュレットされてその後ちゃんと紙でも拭いて出てこられたとは思うんですけど、念のため、もう一回ウォシュレットされてみますか?」

って言われてるようなもんだよ。

いや、違う。
なんかちょっと違うんだけど、まあ、そんなことはどうでもいい。

裾上げした末に出来上がったズボンがまさかのちんちくりんだった俺からしたら、まったくもってどうでもいいです。



(了)




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HERS

  • 2009-02-18 (Wed)
  • Note
前回記事のなかで少し触れた雑誌「HERS」は、聞くところによると該当世代の方々にかなりの人気を誇っているらしい。

それをああやって(自分の中では洒落の範疇だったとはいえ)、多少なりとも面白おかしく茶化して書いちゃったことで、もしかしたら「女性と年齢」っていう敏感なスポットを過度に刺激しちゃったかなー、思ったよりろれつも回ってなかったかなー、とちょっと反省していたのだった。

とーこーろーがー。

もうね、熊さんが後からついてくるほどの衝撃をね、受けましたよ。

「HERS」の次号(2009年4月号)。

これが、とんでもないことになっとるんである。

























えええええええええええええええ?!





50代ってそうなの?どうなの?ほんとに流行ってんの?とりあえずググっても出て来ませんけど。でも考えてみれば50代だったらそんなにインターネッツもやんないんだろうし、やっぱりどっかで実際に行われてるんだろうなあ。で、あわよくば『男女ミックスお食事会』という名の“熟年合コン”を社会通念としてアリってことにしたいんだろうなあ・・・
どうやら思ってたよりずっとはやい段階で、えらいことになっとるようだ。はぁー

あ。

もしかして、この「HERS」って雑誌名は周囲の溜め息が由来なんじゃないか。




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「今年35」からの逃避

前回書いた記事を読み返しながら、書いている内容がくだらないにもほどがあるなと苦笑しつつ、本文の主旨とはまったく関係ない「今年35?昭和49年生まれ?」のくだりで思わず狼狽してしまった。

35て。

書いてるときは何とも思わなかったんだけど「35」つったら結構な年齢じゃないか。そこそこのボリュームだ。それなりに、こう、年輪を刻んできてる感がある。要するにまあ、いい歳してなにやってんの、と。あらためて己の年齢とちゃんと向き合ってみると、さすがに出川じゃなくても言いたくなるよ。

「やばいよまじで」

具体的に何がどうやばいのかと言うと、具体的なやばさ加減を自分自身でちゃんと把握できてない、ってのがやばい。正直なところ「ええと、今年で35になっちゃうんですけど、いいすか?」って感覚がありあり。あれよという間に息子は今年から小学生なのに、ブログなんてしこしこ書き散らかしてんじゃねえよ、と。一人称で「僕」はないんじゃねえの、と。『R25』を愛読して「今週も勉強になったわー」とか、ない。よく「お前には10年早い」って台詞を聞くけど、俺(さっそく改称)の場合は間違いなく10年遅い。

だけど冒頭で書いたように客観的に見たら、っていうか事実として俺は「昭和49年生まれ」なわけで、こうやってぼんやり「昭和49年」って表記を見てるだけでなんだかノスタルジックな気分に浸れるっていうか、駄菓子屋の香りが漂ってくるっていうか。画面がセピア色に褪せて見えても反論できない世代だと思う。

ただ、これだけは若い人達に勘違いされたくないんだけど、持ってる写真は全部カラーです。あと、巨人も大鵬も卵焼きもそんなに好きじゃないです。東京オリンピックも学生運動も知りません。「欲しがりません勝つまでは」とか言った覚えもないですし、髷なんて結ったことないです。戦にも一揆にも参加したことなければ、土器を作ったことすらありません。エラ呼吸なんてもってのほかです!

時間感覚の話に戻っていえば「平成生まれが成人かー」って言ってたことですら、もはや過去の話だもの。もう21歳になってる平成生まれが存在してるわけです、実際問題。そりゃ阿藤快じゃなくても言いたくなるよ。

「なんだかなー」

最近そういったどうしようもないほどの早さで過ぎゆく時の流れみたいのを自分の中に取り込めなくて完全にうろたえてる。ほんと、朝起きてぐーっと背伸びしただけで背筋が攣(つ)るとか、ありえない。

でも、いま30代半ばの男ってのはだいたい似たようなもんだと思う。ところどころ体にガタがきはじめてるけど「ちょい悪オヤジ」になるには少し早い。かといって若者ぶって羽目を外すのも無理がある。それなりに大人らしく振舞わなきゃと思うんだけど、振舞うだけの金も威厳も無い。その一方で、頭の片隅にはまだ「ちんこうんこおならぷー」で爆笑できる感覚も残っている。まったく、中途半端なことこの上ない生き物なのだ。だよね?

それに比べるともう、女ってのは逞しいこと山の如しだ。俺みたくうろたえてる男どもを尻目に「私らしさ」を上手く見せる術を持っている。いや、むしろ自分達の都合の良いように“独自の道”を切り拓いている。

たとえば、光文社の女性月刊誌ルート。

「JJ」⇒「CLASSY」⇒「VERY」⇒「STORY」⇒「HERS」

この、特定の世代をひとくくりにして共に奮い立たせようとする(あるいは慰めあおうとする)パワーは相当なもんだと思う。言わば、世代別プロパガンダ。

特に「HERS」に至ってはアンタッチャブルなゾーンに踏み込んだ感がある。


今までの人生で培ってきた価値観を、もう一度見直してみる世代である、40代後半~50代の女性に向けた、新しい女性誌「HERS(ハーズ)」が創刊になります。「JJ」が創刊した1975年に18歳だった少女たちが50歳になります。「CLASSY」「VERY」「STORY」と年代によって媒体を変えてきた女性たちが次に求める情報を提供していきます。
(紹介ページより引用)



ちなみに最新号(2009年3月号)のテーマはこうだ。


「まだ50」と「もう50」を使い分けて
ズルく、可愛く、美しく。




なんだかもう、ここまで来ると個人的には「参りました」としか言いようがない。「このへんで勘弁してください」と懇願したくなる。だってそうだろう。この先、この読者達が60代、70代と歳を重ねていくたびに光文社が新しく雑誌を創刊してたら、えらいことになる。



「胸元を強調したワインレッドのワンピで大胆KANREKI。」

「はじめてのパープルヘア。はじめての数珠ジュエリー。」

「あえての老人ホーム暮らしでホームパーティーを愉しむ。」

「親友との最期の別れは、哀しみをこらえてゴージャスに。」




とか、そんな特集の見出しが躍るかもしれないのだ。

あー、でも、そう考えたら「今年35」とか、まだまだ若造だな。



(了)




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僕がブログを更新できない108の理由

  • 2009-02-13 (Fri)
  • Note
(理由その1)
自分のブログを開いたとき、最後の更新日から1週間ほど開いてしまっていると「ああ、そろそろ書かなきゃなあ」と思うのだけれども、それくらい間隔が開いてしまっていると大抵「あれ、ブログってどうやって書くんだっけ?」という状態に陥ってしまい、慌てて直近の記事を幾つか読み返しながらなんとか感覚を取り戻そうとするものの、むしろ「そういや去年のあの頃って・・・」と想い出のアルバムを開くような感覚のほうが研ぎ澄まされてしまって、気づくとバックナンバー経由で古い記事をごっそり読み返している自分がいて、ひとしきり読み終えた後で「もうあの頃みたいな記事を書くパワー、いまの俺にはないわー」というテンションになってそっとブラウザを閉じる、そんな日々を過ごしているため。

(理由その2)
いろいろあるため。

(理由その3)
野菜いため。

(理由その4)
卍固め。

(理由その5)
え?まじで?今年35?昭和49年生まれ?じゃ、一緒だよ!
俺、おまえと















ほーら、どうだーい?
いくら頭の中で「くだらねえ」「つまんねえ」と思っていても、体はとーっても正直だろーう?
嫌でも書かれてもいない二文字が見えてしまっただろーう?

って、俺はくまだまさしか。




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松井

  • 2009-02-06 (Fri)
  • Note
Yahoo!JAPANのトップページを開いたら偶然、NYヤンキースの松井秀喜が。







「イチローVS松坂」の記事も写真付きで出ているがそんなのはどうでもいい。

それよりも断然、松井だ。

そういえば最近全然見てないなー、なんて思ってたらこんなとこにいたのか。

去年は怪我したりして本人としても不満足なシーズンだったはず。

今年にかける気持ち、意気込みはこれはでとは比較にならないだろう。

WBCも辞退して話題的には蚊帳の外だが、同い年だし頑張ってほしい。































普通に書かれてるとこで見つけると、なんかすごく嬉しい。



*参考記事:『ゲシュタルト崩壊』『にしこり』




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恵方巻

節分である。

節分といえば、何はなくとも豆まきだ。「鬼は外、福は内」ですっかりおなじみの豆まき。鬼の面をつけた者に対してここぞとばかりに豆を全力で投げつけ、後片付けの億劫さを脳裏の片隅にちらつかせながら遠慮がちに家の中を豆だらけにし、そして自分の歳の数だけ豆を食らう。

あの豆のパッサパサ感はどうにかならんのか。

年端もいかぬ子供たちは少量しか食べられないために「大人はずるい」と愚痴をこぼすが、大人からすれば味気もそっけもない豆など本当は別に食いたくないのである。それでもなんとか食っているのだ。縁起物だし、そういう決まりだし、子供に示しがつかないし、とかそういった諸々の大人な事情で。だのに、その信心深さや行事ごとに対する生真面目さがかえって命取りになる恐れもある。

歳とったじいさんばあさんにとって、あのルールは拷問。

あんな投げ捨て用の乾ききった豆を70粒も80粒も真面目に食ってたら死ぬよ?「ええと、おじいちゃんは今年93歳だっけ?じゃあ、、、」って皺だらけのプルプル震える手のひらに、てんこ盛りの豆。

「ほおばれど ほおばれど猶 わが節分 楽にならざり ぢつと手を見る」

豆がたんまり残ってるのだった。ぢつと手を見たところで食べるべき豆は依然として山盛りだ。「私はこんなに歳を取ってしまったのか・・・」と己の老いを痛感する間もなく、口の中がパッサパサのカラッカラ。下手すると“これから1年間、病気になりませんように”と願いを込めながら豆を食べてる途中でご臨終!アイミスユー!などという本末転倒な事態も起こりかねない。高齢者の皆様におかれましては、くれぐれもご自愛ください。

それでもまだ豆まきはいい。僕自身、物心ついた頃からずっとやってきたわけだし、自分の子供たちにも日本文化?伝統行事?ならわし?しきたり?まあ、なんとなくフワッとした感じではあるがそれなりに後世に受け継いでいきたい気持ちは少なからずある。だがそれはあくまでも豆まきに関してだ。

恵方巻とはなんぞや?

なにこのニューフェイス。にっこり笑って「はじめまして!マキです!」とか言われても困るのだ。名刺すらない初々しさでライターを握る手つきもぎこちない。こういう店で働くの初めてなの?体験入店?え、俺が初めてついた客?まじで?じゃあ記念にボトル入れてあげちゃおっかなー。でもあれだよ?やっぱ夜の生活に馴染めませんでしたっつってすぐ辞めちゃうのはナシだよ!?

そんな心配もどこ吹く風、マキちゃんは正月明けの販促プロモーションでナンバーワンの地位にまで上り詰めた。ここ5、6年のうちにコンビニやスーパーにおける恵方巻のごり押し的な販売促進がものすごいことになっているのは皆さんご存知の通りである。とにかくどの店に行っても一番目立つ場所(いわゆるエンド)に『恵方巻、超大好評絶賛予約販売受付中!チェケラッチョ!』とか書かれたポスターやPOPがババーンと掲げられている有様だ。

実にいやらしい。

ものすごくわざとらしく卑しい風潮だと思わざるを得ない。たしかに我々日本国民は昔から「土用の丑の日」「バレンタインデー」「ホワイトデー」等々、特定の生産業者やメーカー、流通業界の巧みなコマーシャリズム戦略に踊らされてきた。

だが、しかし。たった数年足らずで「節分つったら恵方巻がマストっす!特に今年は東北東方面が超まじやばいっす!」とかしゃしゃり出てこられても正直「は?」としか言いようがない。詳しくはwikiの記述に譲るが、よくもそんなニッチな行事をほじくり返して無理やり全国恒例イベントにまで仕立て上げたものだと、感心こそすれ共感などできるはずもない。

ところがそんな僕の嫌悪感もなんのその、いわゆるイケイケドンドンな勢いに乗じてなりふり構わず“やっちまった”企業が後を絶たないのが哀れ今のご時世である。聞くところによると、本来メインアイテムとして使用されるはずの太巻(丸かぶり寿司)ではなく「恵方巻用ロールケーキ」まで登場しているという。もはや寿司ですらなくてもオッケーなのである。まるかぶりするために渋々開けたお口がドントクローズだ。

「つーか、とりあえず巻いてりゃ何でもよくね?」

便乗商法が堂々と展開されているということは企画段階で誰かがきっとこんな類の発言をしているはずで、恵方巻関連のあらゆる商品を見るにつけ薄ら寒い気がするわけだが、ちょうど今日もまたそっち系の痛いアイテムを発見してしまったのだった。




※包装されているのはうんこではありません。



ああ、まさに。これこそ「巻いてりゃ何でもよくね?」である。だってこれ、ただの『デニッシュロール』だもの。もっというと、この商品には恵方巻のエッセンスがひと欠片も入っていない。恵方巻を意識した味でも、パッケージでもないのだ。あえて言うなら海苔を意識してるっぽい外側のチョココーティングだが、そんなのクソ食らえだ。(※当該商品はうんことは何の関係もありません。)いずれにせよ考えられることはひとつ。販促セクションあたりの人間が後付けでこんなことを言ったに違いないのだ。

「とりあえず巻き系の食いもんに、全部このシール貼っとけよ」




※背景に映っているのはうんこではありません。



元も子もない話だと思う。こんな商品まで便乗しようとしても、むしろ逆パブにしかならないと思うのだが、きっとこの担当者の頭の中はもう恵方巻のことでいっぱいいっぱいだったのだろう。朝から晩まで、何から何まで“恵方巻モード”になってしまっているのだ。

もしかすると担当者はこの時期、風俗に行っても「ちょ、待って。ええと・・・こっち向きでしてくんないかな?あっちが東北東だから」とかリクエストしてるのかもしれない。なんなら「俺の恵方巻で、君に幸あれ!」とか決め台詞のひとつぐらい持っててもおかしくない。

とまあ、いつになくだらだらと取りとめもない文章を書いてしまったわけだが、今回僕が一番言いたかったことをひと言でまとめるならば、それはつまりこういうことだ。



逆チョコ?死ねよ。



(了)




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