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腕を振って歩く

腕を振って歩く

歩くとき、人は腕を振る。

右足を出したときには、左腕が前方に振れ、右腕は後方に振れる。
左足の場合は、その逆だ。

これは人間の本能としてあらかじめ備わっている動きであり、
もし、歩くときに右腕と右足が同時に出てしまう者がいたら
すぐに医者に診てもらったほうがいい。

念のため断っておくが、あえて「手を振る」という表現で
書かなかったのは、いわゆる「バイバイ」のように手のひらを
左右に振る行為と間違える方がいるかもしれないからで、
常に「手を振って歩く」のは、皇族か王室くらいのものである。


僕は、この「腕を振って歩く」行動になぜか敏感だ。

というのは、街には「尋常じゃないくらい腕を振って歩く者」が
存在するからである。

つい先日も「尋常じゃないくらい腕を振って歩く者」を見た。


女だった。

スーツ姿が良く似合う女だ。

エリートOLっぽい風情で、男社会でバリバリと仕事をこなす、
そんな雰囲気を醸し出している女。

彼女は、急いでいるようだった。

しかし、走りはしない。

やや大股気味の、早歩きである。

ブランド物のバッグを右肩から提げていた。

歩行による振動を抑えるために、右腕でバッグを押さえている。

問題は、左腕である。


これがもう、すごいフィードバックなのである。


それはまるで、









往年の、氷室京介の決めポーズ










もはや「CLOUDY HEART」である。

後方を歩く者を“傷つけてばかりだったけど”なのである。

とにかく、その腕の動きがまるで手刀を振り回しているようで、
周囲の者に恐怖心を与えてしまうのである。


だが一方で、この「尋常じゃないくらい腕を振って歩く者」は、
我々に滑稽な印象も与えてくれる。

走りはしないわ。私はデキる女だから。
急いでるけれど。私はデキる女だから。
颯爽と歩くのよ。私はデキる女だから。

彼女にしてみれば、自分を演出しながら街を歩いてたのだろうが、
四肢で唯一、役割を与えられなかった左腕が残念な姿を晒すのだ。

腕の振り具合が尋常でないため、その姿はまるで、
水面下でもがく白鳥の足が、見えてしまっているかのようだ。

見ようによっては、早くバトンをもらいたくてうずうずしている、
リレー走者のようにも見え、そこに映し出されるのは、ただただ
ミスマッチな都会の風景である。


そしてもうひとつ。

残念な姿の象徴ともいうべき存在が、振れ過ぎた腕の先にある、


手首


この手首の動きにこそ、僕は警笛を鳴らしたい。

大きく腕が振れる。

ダイナミックなモーションで、後ろに振れる。

後方の相当高い位置まで腕が上がる。

そして、ヒムロック完成。


問題は、次の瞬間だ。


腕が振り切った瞬間、その遠心力だか反動だかが手首に伝わって、
伸びきった腕の先で、手首だけが





だら~ん→クイッ




となっちゃうのである。

つまり、勝手に、妙にだらしないスナップを効かせるのだ。


これは十中八九、間違いなく、なる。


そして、この“だら~んクイッ”は、とてつもなく滑稽な動きだ。

どんなにデキる者であっても、どんなに聡明な者であっても、
隠された恥部が白昼堂々と露わになってしまう瞬間なのである。


僕は、この“だら~んクイッ”を見ると、いつも運動会を思い出す。

運動会の行進練習のとき、体育教師が拡声器を通しながらの大声で

「指先まで集中!」

と、怒鳴り散らしていたことを思い出すのである。

あのときの、体育の授業での教えを守ってくれていれば、
彼女のあんな姿は見ずに済んだかもしれないのに。

体育の授業でも、大人になって活きてくるものだと関心する。


まあ、かといって、忠実に守る必要など全く無いのも事実だが。

体育教師の教えを忠実に守りながら日常生活を送るのは、嫌だ。

考えてもみてほしい。

電車を待つホームや、赤信号待ち、何かの行列に並んでいるとき、
からだが勝手に「小さく、前ならえ」をしてしまうのである。

これは、かなり恥ずかしいことである。



そもそも「小さく前ならえ」とは、いったいなんだったのか。

なぜ、先頭の者だけ偉そうに腰に手を当てるのか。


訳の解らぬままに、ただ盲目的に従っていた教えのひとつだが、
もしもあの動きに、

“社会生活においては、他者との一定の距離感を計りなさい”

という意図が隠されていたのならば、話は別である。

なぜなら、それはそれで、

「他者とのコミュニケーションにおいて障害の多い現代への教え」

だといえなくもないからだ。


そうなると「尋常じゃないくらい腕を振って歩く者」は、ますます
現代社会における闇としてクローズアップされてしかるべきである。



などと考えながら歩いていると、僕はいつしか歩行がぎこちなくなり、
気がついたときには、右手と右足が同時に出てしまっていたのだった。



(了)
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