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忘れ物を取りに来ました

忘れ物を取りに来ました

いよいよ、トリノ五輪である。

同じ4年に一度の行事としては、サッカーW杯のほうに惹かれるが、
それでもやはり、これから睡眠不足の日々が続くのは間違いない。

悲喜こもごもの17日間が繰り広げられるわけだが、五輪といえば、
必ずと言っていいほど語られる台詞がある。

前回の五輪にも出場し、なおかつメダル獲得を確実視されながら、
表彰台を逃してしまった選手に対して、実況者がこう言うのだ。










「忘れ物を取りに来ました」










僕は、この台詞を聞くたびに、どうかと思ってしまうのである。

だって、そうだろう。

「忘れ物」というからには自分の持ち物であることが大前提だが、
彼(彼女)は、結果としてメダル獲得は成らなかったのである。

実力を発揮できなかったか、それともアクシデントがあったのか。

理由はともあれ、とにかく五輪のルールに則って、そして負けた。

ルールあってのスポーツ競技において、実際に敗れたのである。

「忘れ物」では、決してない。

それでもなお、忘れ物だと言い張るのなら、










ソルトレイクの交番に行け。










そもそもトリノに問い合わせるのが、お門違いというものである。



とここまで読まれて、底意地の悪い考え方だな、と思われる方が
おられるかもしれない。

自分でも、かなり根性の曲がったことを書いていると思うのだが、
しかし、よくよく思い出してみてほしい。


ソウル五輪・レスリング48キロ級で金メダルに輝いた小林孝至は、
獲得した金メダルを、実際に、公衆電話に置き忘れたのである。



本当の意味で「忘れ物を取りに来ました」と言えるは、









この人だけ










である。

忘れ物を取りに来たメダリストが実在する、その事実には驚くが、
それもこれも、メダルを獲得していたからこそできたことなのだ。


「忘れ物を取りに来た」という台詞は、なんとなく格好良さげに
聞こえるが、小林さんの例を除けば、すべて苦い過去でしかない。


結局のところ「忘れ物」とは、前回届かなかったメダルではなく、
それは“期待されながら敗退してしまった事実”である。

「取りに来た」のも、再び期待されているメダルの獲得ではなく、
“4年前には披露できなかったベストパフォーマンス”だ。


だからこそ、メダル獲得への期待を安易に「忘れ物を取りに来た」
と表現されることに、僕は違和感を覚えるのかもしれない。


選手達には、次のバンクーバー五輪の際に「忘れ物を取りに来た」
などという台詞を聞かずに済むくらいのベストパフォーマンスを、
このトリノで見せていただきたいものである。

(了)





ちなみに、こうして最後まで読まれてお気づきの方も多いと思うが、
僕は今回の文章で致命的な「忘れ物」をしており、それはいわゆる、















“笑いどころ”










に他ならない。



(再了)
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