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【連作雑記】セカチュー(2)

【連作雑記】セカチュー(2)


一大ブームを巻き起こした『世界の中心で、愛をさけぶ』は、
その絶妙なタイトルもヒットの要因のひとつと言われている。

一方で、近日公開になる“韓国版セカチュー”のタイトルは、
『僕の、世界の中心は、君だ。』。

そこに違和感を覚えることは前回書いたが、今回は別視点で
違和感の理由を検証してみたい。


それは「世界の中心」の解釈の違いである。


本家において「世界の中心」は、最後まで回答が明示されず、
「中心とはどこか」「何を指しているのか」といった議論が
持ち上がるほどだった。

「世界の中心」の真意は読み手に委ねられており、本作品の
肝とも言うべき重要なワードだったのである。


だが、韓国版は「世界の中心」は「君だ」と言い切っている。





「事件の、真犯人は、お前だ。」





みたいな勢いで言い放っとるのである。

予告編を観ても、タイトルと同じ台詞を語るシーンがあって、
「世界の中心」=「君」でファイナルアンサーだ。


僕はそこに、いささかの疑問を抱いてしまう。

そんな決め付けちゃって本当にいいのか、と。
ダイレクトで短絡的すぎるんじゃないか、と。

本家の「世界の中心」部分が担っている趣きみたいなものが、
韓国版では損なわれているような気がしてならないのである。


そんなことを思いつつ、再度『僕の、世界の中心は、君だ。』
公式HPのURLを見て、愕然した。





http://wwws.warnerbros.co.jp/bokukimi/















/bokukimi/ ←なにこれ?















すっかり「世界の中心」が、無視されとるのである。

セカチューのかけらもなく、まさかのボクキミ


韓国版の「世界の中心」とは、その程度のものだったのか。

こうなると違和感とか検証とか言ってた自分が馬鹿みたいだ。

相変わらずくだらないことを書いている自覚はあったけれど、
いつにも増して己を惨めに感じる、今日この頃である。



(了)


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