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ともだち百人できるかな

ともだち百人できるかな


こどもの頃、こんな歌があった。


『一年生になった~ら~、一年生になった~ら~、
 ともだち百人できるかな~♪』



子供のころ、誰もが歌ったんじゃないだろうか?
スペックは、こちら。

「一年生になったら」
作詞 まど・みちお
作曲 山本直純



作詞のまど・みちお氏は、かの北原白秋に認められた詩人とのこと。

この手の「認められる・認められない」というセリフは、なにをもって
判断されるのかということも興味深いが、ここでは触れないでおこう。

とにかく、北原白秋に“認められた”詩人の作品なのだが、
最近になって、この歌に重大な事実が隠されていることに気がついたのである。


さて、まずこの歌が示す「一年生」についてだが、
これは、「小学一年生」だと考えて間違いないだろう。

他に可能性があるとすれば、「一年生議員」が定着している政界くらいか。
将来、この国を牛耳ってやる、という強い意志を持つ歌だと解釈すれば、
それはそれできな臭い歌にも聞こえるが、そうでないことは明らかである。

となると、これは小学校入学前の僅か6歳児の、
心情を吐露した歌ということになる。



世の中、人脈である。



人との繋がりが重要なことは、社会に出れば誰もが痛感するはずで、
希望・願望の範疇とはいえ、若干6歳にして、その重要性を認識し、
広い交友関係を築こうとする彼(仮にこう呼ぶ)には、拍手を送りたい。


小子化が進む現代においては、望みの達成は困難を極めるだろう。
もしかしたら、厳しい現実を突きつけられることになるかもしれない。


しかし、幼さゆえか、彼の望みは、より高いところにあるのだ。




『百人で食べたいな~、富士山の上でおにぎりを~♪』




なんと、ともだちと富士登山を目論んでいるのだ。



富士登山は、実はオトナでも結構たいへんな登山コースだと聞く。
それを彼は、ともだちを引き連れて達成しようと計画している。
しかも、パックン、パックン、と暢気におにぎりを食すつもりらしい。


これだけでも、かなり「してやられた感」は、ある。


しかし。


僕は、彼を甘く見ていたようだ。

彼の真の目的は、そこではなかったのだ。
さらに重大かつ大胆な企みを、実は密かに抱いているのである。




彼はまず、

「ともだち百人できるかな」

と云っている。




そして、

百人で食べたいな、富士山の上でおにぎりを」

と続ける。





つまり。






一人、足りないのだ。







彼は、その年齢にそぐわぬ百人もの友人を作り、
その成果として実行予定の、恐らく史上最年少の集団富士登山に、




たった一人だけ、絶対に誘わないつもりなのである。




僕は、大きな野望の裏に隠れた、ある種の残虐性を感じずにはいられない。



せっかくなので、最後に全歌詞を紹介しておこう。
二番も三番も、やはり一人だけ・・・。



一年生になったら 一年生になったら
ともだち百人 できるかな
百人で 食べたいな
富士山の上で おにぎりを
パックン パックン パックンと

一年生になったら 一年生になったら
ともだち百人 できるかな
百人で かけたいな
日本中を ひとまわり
ドッシン ドッシン ドッシンと

一年生になったら 一年生になったら
ともだち百人 できるかな
百人で 笑いたい
世界中を ふるわせて
ワッハハ ワッハハ ワッハッハ



最後の高笑いが、なんとも云えず哀しく聞こえてしまうのは僕だけか。
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