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おかわりの自由

おかわりの自由

僕は、いわゆる『おかわり自由』な店に弱い。

食べ放題。バイキング。ビュッフェ。

これらの謳い文句に、僕は自然と目が止まってしまうのだ。

もちろん、実はたいしてお得ではないことは知っている。
死ぬ程食べないと、元は取れないことくらい知っている。
店の利益を考えれば、その品質や押して知るべしである。

なので最近は、焼肉や寿司の食べ放題にはさほど惹かれないが、
それでも馬鹿のひとつ覚えのように惹かれてしまうことがある。

“局部的おかわりの自由”だ。

これには、未だに釣られてしまう。
メインの質はしっかり保証し、その他で量をサービスします、
そんな太っ腹なメッセージに思えてくるからかもしれない。

たとえば、とんかつ屋。
たいてい、ご飯、キャベツ、味噌汁がおかわり自由だ。
それはすなわち「メイン以外なら持ってけドロボー!」状態。

またたとえば、牛タン屋。
たいてい、麦飯がおかわり自由だ。
それはすなわち「食べても食べても、なおヘルシー!」状態。

これらの店の「おかわり自由」という札看板に引き寄せられて、
案の定、各々をおかわりするのだが、困ったことに毎回必ず



食べ過ぎて気持ち悪くなる。



とんかつと牛タンの前では、僕の学習能力はゼロらしい。
苦しくなり、おかわりしなきゃよかったと帰り際に後悔するが、
また別の日に再び行くと、もう駄目だ。

「おかわり自由」札に魅せられ、気づくと暖簾をくぐっている。

料理が置かれるや否や、とんかつの切れ数、牛タンの枚数を
即座にカウントしてしまっている自分がおり、それはつまり、



ハナから、おかわり前提でペース配分しとる。



美味しかったのは、おかわりするまでだったなあと気づくが、
どうにもならない。
まさしく判を押したように、毎回、同じ過ちを犯すのである。
自分で馬鹿じゃないかと思う。パブロフの犬じゃないかと思う。

しかし、それにも増して情けなくなるときがあるのだった。


サラダバーである。


たいてい、レストランのサラダバーはセットオプションで、
小ぶりな皿に盛り放題のセルフサービスになっている。

それはすなわち「この皿の盛れる限界にチャレンジ!」状態。

盛る。

まず盛る。

思わず盛る。

もりもりと、盛る。

もう、盛れるだけ盛る。

席に戻って存分に堪能する。

新鮮&ヘルシーでとても美味しい。

こんな時こそ野菜をたくさん取らないと。

特に、まろやかなポテトサラダなんて絶品だ。

コーンのしゃきしゃきの歯ごたえが、もう堪らない。

吟味して選んだドレッシングの酸味もとても味わい深い。

そして、ひととおり食べ終えた僕は、一息ついて思うのである。










「メイン、食えねえ」










ばかである。

呆れるほどに大馬鹿者なのだが、満を持して運ばれてきた
素敵なメインディッシュを前にして、僕は思い直す。

やはりメインあってのレストランじゃないか。

迷ったあげく決めたリヴステーキじゃないか。

ジュージューと、良い音がしとるじゃないか。

見事なミディアムレアで焼けとるじゃないか。

なんかもう、思いきりシズっとるじゃないか。

かなり、というか完全に満腹中枢は満たされているのだが、
最終的には、食べないわけにはいかないという結論に至る。

レストランに来た最大の目的が、この上質な肉であり、
今日一番のお買い上げ商品こそが、このリヴなのである。

それを食べずして、いったい何のためのディナーなのか。


やがて僕は、長い取調べの末に自供をはじめる容疑者のごとく、
ゆっくりと重い口を開くのだった。










「…にくかったんだよ」










食欲の秋である。

そして、円楽師匠の笑点への復帰を心から願う秋でもある。

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